赤井英和インタビュー 浪速のロッキー挫折からの復活劇(2)

週刊実話

赤井英和インタビュー 浪速のロッキー挫折からの復活劇(2)

 −−その後、なぜ俳優の道に?
 「1988年に、講談社さんから私の自伝的本を出さないかとお話を頂き『どついたるねん』を出版して、それを読んだ阪本順治監督が「映画にしたい」と直接会いに来てくれたんです。私が29歳で、監督は30歳。果たして映画になるんだろうかと思いましたが、監督の熱意を感じたんです。それと、その時の私は呑んでばかりいましたから、体重も増えていて、このままじゃ赤井英和はなくなってしまうと思った。それで命がけで挑んだんです」

 −−結果、映画は大ヒットしたんですね。
 「いや、実際は単館映画館の上映だったんで、すぐじゃなくて後のビデオになってからのヒットでした。少し時間差があるんです。だから、また1年半くらいスネかじり生活でした」

 しかし、これがきっかけとなって俳優として注目を浴び、今では映画やドラマ、バラエティー番組などにも出演。最新作の『裏と表』(オールイン エンターテインメント)では暗躍する政治家として強烈な悪役を演じ、『コンフリクト』(同)では警察署長役など、演じる幅も広がっている。

 −−演技はどこで勉強されたんですか?
 「現場です。例えば、自転車に初めて乗ったときも、説明書見たり、頭で勉強するより実際乗ったほうが憶えますよね。それと同じです」

 −−赤井さんには3人のお子さんがいますが、皆さん、スポーツをやってらっしゃるとか。
 「はい、長女のつかさは、22歳。中1の頃から留学して今年大学卒業なんですが、ずっとクロスカントリーをやっています。長男の英五郎(えいごろう)は21歳。アマチュアボクシングで、東京五輪での出場を目指して頑張っている。自宅の駐車場を改装してボクシングの練習場にし、時間がある時は私が教えたりもします。次男の英佳(ひでよし)は19歳。陸上をやっていたんですが、身長が190センチあるので、今は外国人ばかりの中に入ってバスケットボールで活躍しています」

 −−これからの活躍が楽しみですね。
 「私はボクシングをやって色々な人と知り合い、助けられたりして、あらゆることを学びました。子供たちには、『今は大変でも頑張れば夢は叶うから、志は大きく持て』と言っているんです」

 −−最後に、我々庶民の間では、景気がよくならない中、前向きになれない方たちも多くいます。何かアドバイスを。
 「1998年に、私がアフリカのコンゴからザイール川を辿って行くという旅行の番組のお仕事があったんです。そこでは、狩猟民族のピグミー族の人たちと10日間一緒に生活しました。彼らは捕った獲物を皆で平等に分け合い、猟以外は太鼓叩いて踊ったり、その周りで子供たちは遊んでいる。とても穏やかな人達と幸せな時間を過ごせたんです。
 その帰国後、成田空港のトイレに入ったとき、鏡に難しい表情をした人ばかりが映る一方で、自分は嬉しそうな顔していた。そのとき、日頃から難しい顔ばかりしてると周りにもそれが影響するものだ、と思ったんです。気持ちは顔に出る。相手の顔は自分の顔と思えと。穏やかな顔をしていれば、奥さんだって穏やかになりますよ」

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