【東松山市少年リンチ事件】かつて"不良少年"だった私が思うこと (2/2ページ)
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東松山市少年リンチ事件
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不良少年
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イジメ問題
虞犯の意味だが、社会にいると周りに悪影響を及ぼす、との事。そして何もしていないのにいきなり逮捕されたのである。その様な悪い少年時代を送ったのだが、この様な残虐な事件を引き起こした事はない。
まず不良少年には先輩、後輩という上下関係には厳しいモノがある。だが、そこには当然「情」が一番上にあり、殺すとかの考えは、ない。喧嘩は自分の仲間以外にはとことん闘ったが、絶対に限度は知っていた。単車とか車は燃やしたりもした。しかし人は燃やしてはいない。
それは自分たちが身をもって培った経験ゆえ、だ。捕まる事は恐れてはいなかった。しかし、喧嘩の場合、「肉体的にこれ以上はまずい」というのを肌感覚で知っていたのだ。「知識」はないが「知恵」は持っていた。
筆者の少年時代は金属バットなども武器として使ってはいなかった。木刀だけであり、頭も当然狙わなかった(それは近年全く変わってしまったのだが)。
後輩にはヤキを入れた事もある。だが、人間は必然的に弱い部分を庇ってしまう。頭とか腹部である。そこを手で庇ったり体を丸めて防御する。
その庇っている部分を「これなら平気だろう」と、多少の手加減を加えて殴ったり蹴ったりする。筆者も経験した事だ。その後は言葉でも態度でもキチンとフォローするのは当たり前だ。
仲間がやられていたら体を張って守る。その姿は仲間、後輩に嫌でも見えるモノである。それが情であり仲間であり、信頼関係である。筆者の少年時代は携帯もなければポケベルもない時代である。
今回の事件は連絡が取れないという動機でリンチに及んだが、筆者の時代は連絡が取れなければ、まず心配をした。
そして一生のトラウマを背負わせるような酷い事はしなかった。筆者は今では地元に帰り、そこに住んでいる。昔の先輩に会えば頭を下げるし、後輩と会えば頭を下げられる。数十年経っていても仲間である。その様な関係が築き上げられなくなってしまったのであろうか。そう考えると非常に哀しい事件である。
Written by 西郷正興
Photo by K-SAKI