【東京巻き込み育児 #2】最初から大嫌いだった「姑問題」悪者にしたかった本心とは? (2/3ページ)
水と油もいいところです。
若く未熟な私には、姑と言う人がさっぱり理解出来ないどころか、不気味に感じていました。一見、当たり障りの無い相づちを打つ姑ですが、「内心何を考えているか分からない」というのが、一貫した私の印象でありました。非常に軽く適当な相づちが、いつも不愉快でした。
何もかもが気に食わない。一言で言うと、私の姑への印象はそれに尽きます。
しかしその印象が間違いであった事を、私はずっと後に知る事になるのです。
■姑、波乱の予感と共にアメリカへ。
カレッジという短大を夫が卒業する時も、専門大学の卒業式も来なかった姑が、「私と赤ちゃんがいるから」という理由でアメリカに来たときも、私は内心いい気がしませんでした。自分を頼りにするとか、やめてほしいわ……というのが本音でした。
滞在中、私が用意した料理を「脂っぽいから」と残し、こっそり夫に「生野菜が食べたい」と訴えてスーパーで買ってこさせ、外食するときには「これ“で”いい」とのたまう姑に、短期間とはいえ募るイライラ。なんで私に直接言わないの? これ“で”いい、って妥協か! 失礼でしょ!
今思うと、野菜たっぷりの環境で育った姑にとって、煮物などの加熱野菜中心の私の手料理は、身体に合わなかっただけのことなのです。そして嫁の私に、単に気を遣っていただけのことです。
その部分を見ようとせず、とにかくあらゆる要素に対して、私は文句だらけでした。
■姑を悪者にしたかった私の本心とは?
「言いたい事を言わない」「後で隠れて夫に訴える」特にもやもやっとしたポイントはこの2つ。それについても、私は、「自分が姑に言いたい事を言わせていない」とは露ほども思いつかなかったのです。
もとい、本当は分かっていたのだとおもいます。しかしそれは私にとって、見たくない現実でした。何故かと言うと、姑を悪者にしたかったから。
それでも姑は私にムッとするどころか、終始変わらない態度でした。そして、さらにそれが私を苛立たせました……と、ここまで書くと、私もよくよく、姑とは心から仲良くしたくなかったんだなあ、と、今となっては逆に感心してしまいます。