SMAP解散は回避できた?”芸能界のドン”とメリー喜多川の知られざる関係
“芸能界のドン”として知られるバーニングプロダクションの周防郁雄社長(75)。普段、表舞台に登場することは滅多にないが、『週刊現代』(講談社)のインタビューに応じ、自身に飛び交う噂について自ら説明している。しかも、芸能人の移籍話や利権問題に言及するという前代未聞の内容だ。そのなかではSMAP解散の“戦犯”とされるジャニーズ事務所・メリー喜多川副社長(89)の名前も飛び出している。
「周防社長といえば関係各所への影響力の大きさから、業界人ならば誰もが知る存在。最近では能年玲奈から改名したのん(23)とバーニング系列の事務所・レプロエンタテインメントの独立騒動、そしてレコ大買収疑惑も相まって注目が集まっていました」(スポーツ紙記者)
そんな周防社長は『週刊現代』で、郷ひろみ(61)が1975年にジャニーズからバーニングに移籍した真相や、1978年にまだ設立して間もなかった事務所・アミューズからサザンオールスターズをデビューさせるために5000万円を使ったこと、さらにサザンの音楽出版権をめぐるエピソードなどについて、赤裸々に語っている。
周防社長は郷や能年だけでなく、多くの芸能人の独立・移籍問題に関わる大物中の大物。一部では“芸能ポリス”という別の称号もあるほどだ。
「トラブルの火種を事前に察知し、自分の手元に何らかの利権が残るように調整役を買って出る。これが周防社長が“ドン”と呼ばれるようになった所以です。大きな話があれば、必ず最後には周防社長の名前が出てきたものですが、ことSMAP騒動に関しては、まったく絡んできませんでした」(芸能プロ幹部)
そんな彼と“ジャニーズの女帝”は、どんな仲だというのか。
■“芸能界のドン”があえて静観したワケ
そもそも、一連のSMAP報道で直接動いた大物とされる人物はバーニングではなく、田邊昭知社長(77)率いる田辺エージェンシーだった。
「周防社長も本心では、当然SMAP、特に中居正広(44)や木村拓哉(44)が欲しかったはず。ですが、田邊社長、またメリー副社長は周防社長にとって芸能界の先輩であり、“不可侵領域”に近い存在。SMAP独立の情報は周囲の人間から逐一耳に入っていたはずですが、直接的な依頼がない限りは動かないつもりだったようです。手を出して引っ掻き回すことになってもいい相手と、そうではない相手を、周防社長はきちんとわきまえている。これも百戦錬磨の“ドン”ならではの判断と言えるでしょう」(前出・芸能プロ幹部)
仮に、早い段階で周防社長が参入していれば、SMAPは分裂などせずソフトランディングの道もあったのかもしれない。何かにつけ既得権益の象徴と見られがちな“芸能界のドン”だが、調整弁としての役割が機能しなかったのは、SMAPにとってもジャニーズにとっても不幸だったのかもしれない。
- 文・真田栄太郎(さなだ・えいたろう)
- ※1978年神奈川県出身。大学在学中にフリーライターとして活動を始め、『東京ダークサイドリポート』(ワニマガジン社)、『週刊宝島』(宝島社)、『Hot Dog Press』(講談社)などに寄稿。現在は週刊誌の記者・編集者として事件、芸能取材に奔走する