1980年代に起きた「山一抗争」 「部屋住みヤクザ」の少し可笑しい話 (2/2ページ)

東京ブレイキングニュース

それでわしも親父どうするんですか、と聞いたらしゃーないいやんけ、と言われて一同シュンとなりましたわ」

 また、反対に激動の山一抗争を遠目で見ていた、関東のある組織の人間はその当時の事を思い返してこの様な事を語った。

「山一抗争の頃の話ですか。私は新宿でシンナーの売買を仕切ってましたね。その頃だったと思います。もう売れに売れて人が足りなくなって、本部の部屋住みの人間を使う程人が足りなくなったんですよ。当時シンナー遊びなんかは全盛でしたからね。それで普段厳しい部屋住みの人間が喜んじゃっていい歳してシンナーにはまっちゃったんですよ。それで本部で部屋住みしていながら夜な夜なシンナーの缶を加えてラリッた状態になっちゃって。電話も呂律が回らない状況になっちゃって、大変でしたよ。黒幕は私だとばれてて、本部の月一回行われる月寄りで本部長がしかめっ面をしながら、マイクで『最近本部でシンナー遊びをしている者がいる、分かっているだろうが、自分たちは歴史ある一家である。そこの本部の人間が新ナーを吸っているとは何事か、博徒はやる事はそれでは無いはずだ』と延々と説教ですよ、目は私の方を向いて。あれはきつかってですね。本部長は敵が多かった人なので、他の人間からシャブならいいのか、とか私がやっていると薄々感づいている人間からはその当事者を処分しろ、とか色々な罵声を浴びて、今ではいい思い出ですよ。関西の厳しさは私らには無かったですね」

 さらに山口組と対峙した一和会側の有力組織の人間は「甘いわ(笑)。だけどヤクザの部屋住みは厳しいけど漫画の世界ですわ。緊張感の中にも必ず楽しみを見つける。そんなもんでっしゃろ」
と多くを語らず締め括った。

 条例に縛られてヤクザの事務所を訪れる人は一般人ではまずない世界であるが、普段、強面のヤクザの事務所でも極々日常の風景は笑えるモノがあるのだ。

Written by 花田歳彦

Photo by manfred majer

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