驚きの狭さ!江戸時代に庶民が暮らしてた長屋がとても狭かった理由とは? (2/2ページ)

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狭くて粗末な造りの理由

じゃ、なんでこんなに狭くて、粗末なの?ということですが、理由の一つめは頻繁に起きていた火災です。いつ何時、火災が起きるかわからなかったので、長屋の持ち主である地主は立派な材木を使って長屋を建てたくなかったんですね。

もう一つのわけは、江戸は元々武家政権を維持することを第一義に整備された町だったから。そのため、武家と町人の住環境には歴然とした差があったのです。江戸の市街地の約60%が武家地、20%は寺院と寺社。となると、残りの20%分のスペースに、50万人から54万人の町人が暮らしていたというから、相当狭かったはず。

庶民は、通りに面した店・表店(おもてだな)や町屋に越して町民になるのが憧れだったそうな。狭くて粗末な長屋でも、季節の行事を楽しんだり、近所の人をとやかく詮索しないとか、心豊かな江戸時代の庶民たち。どんな家に住んでいるかより、どんな心持ちで暮らすか、が一番大事なのかもしれませんね。

画像出典:photoAC東京都立図書館

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