有名人マジギレ事件簿(22)〜「お前ええ加減にせえよ!」明石家さんまが本番中に大激怒〜
4月22日に放送されたラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)にて、明石家さんまがテレビ東京に出演しない理由を語った。さんまによると、今から30年以上前、バラエティ番組『サタデーナイトショー』(テレビ東京系)に出演していた際、同番組は深夜番組ながら、同局で放送される全番組の中で、トップの視聴率を記録したという。そしてスタッフらと“今後、10年、20年頑張りましょう”と誓い合ったにもかかわらず、突然、打ち切りが決定した。
どうやら同番組は、お色気の内容を含んでおり、それが局の看板となることを嫌がった上層部局員の妻によって終了が決定したようだ。これにさんまは「取らなくて終わるのは分かんねんけどな。取り過ぎて終わるってどういうこと? ていう。『お色気コーナーをやめなさい』って試してくれんならまだわかんねんね。『これがトップなんて許せない』っていう奥さんの一言やで」と語り、テレビ制作に携わっていない人間の言葉によって、必死で作り上げてきた番組を終わらせられたことが、どうしても許せなかったという。そして以後、彼はテレビ東京には出演しなくなった。
そんなさんまといえば「バラエティは戦場」と語るように、かつて後輩芸人の行動が許せず激怒したこともある。とあるスポーツバラエティ番組にて、出演者が鉄棒にぶら下がり、振り子運動でどれほど飛べるかという競技でのこと。当時、まだ20代のナインティナイン・岡村隆史が同競技に出演した際、さんまは「岡村ここで笑わせよ!」と言って、そのまま鉄棒から下に落ちるだけで大爆笑が起きる空気を作りあげたという。だが岡村は、さんまの最高のパスを無視して真面目に飛んでしまい、中途半端な位置に着地。スタジオは静寂の空気に包まれた。その瞬間、さんまは収録中ということを忘れて「お前ええ加減にせえよ!」と大激怒したのである。
のちに岡村は『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演した際、本人の前でその時のことを笑い話として振り返り、「あれが多分色んなトラウマになってると思います。2〜300人の客がいてる中で『お前何してんねや』って。ただあの時の僕と今の僕は違います!」と、怒られたことが今の成長に繋がっている様子を見せた。
そんなさんまのお説教も、すべては後輩のためを思ってのことなのだろう。彼はインタビューにて「僕らの後は(弟子入りでなく)学校(NSC)やから。やっぱり後輩に好かれようとせずに怒ってあげなあかんのですよ」と自ら嫌われ役を買って出ていると明かしている。
また岡村は『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)にて、相方の矢部浩之が岡村の休養中、自分が芸能界へ誘ってしまったことで苦しめているのではないかと苦悩するVTRが流されると、目に涙を溜め、カメラに背をむける場面があった。そこで「テレビで泣いたら…さんまさんに怒られるんです…」という言葉が自然にこぼれたのも、さんまのことを芸人として尊敬しているからこそなのかもしれない。
さんまは「僕は泣かないって決めてますから」とキッパリ言う。
「僕は好きだった女性のお母さんが昔、『さんまさんはテレビで泣かないから信用できる』って言ってくれたんです。その時に“ああ、こんな人がいるんなら俺は一生テレビで泣かない”って思ったんです。そのお母さんもどんな経験してきたんや、俺と同じくらい地獄を見てきてるんかと思いましたけど、俺の好きになった彼女のお母さんですからね。きっと色んな経験をされて、涙はもう飽きたっていうくらいの方なんでしょう」
さんまは3歳の時に母親を病気で亡くし、小学生高学年の時、父親が再婚。義母には連れ子がおり、彼には歳の離れた弟ができた。またさんまは新しい母親に心を開いてもらおうと、毎日必死に笑わせようとしたが、血の繋がっていない親子関係の溝は埋まらなかったという。さらにさんまの家族によると、隣の部屋から義母の「うちの子はこの子(弟)だけや…」と言うのが壁伝いに聞こえてきたことで、さんまはよく2段ベッドで泣いていたという。
本人も「地獄を見た」と言うように、その後も苦境は続く。さんまが心から可愛がっていた弟は19歳の時に火事で亡くなり、バブル崩壊の影響を受けた際は、5億円もの借金を背負った。そして声が出なくなる悪夢に苦しみながら、さんまは「死ぬか、しゃべるか」と悩んだ末、しゃべることを選んだのだった。
壮絶な過去を背負いながらも、テレビでは一切そんな素振りを見せないさんま。彼は今でもお笑い怪獣として、多くの芸人たちに尊敬されながらも、その道のトップをひた走ってる。
【参考】
・ヤングタウン土曜日(MBSラジオ)2016年4月22日
・FNS27時間テレビ(フジテレビ系)2011年7月23日
・週刊文春 2012年8月16日号
・踊る!さんま御殿!!(日本テレビ系)2005年9月27日
・本人vol.11(太田出版)
(柴田ボイ)