酒饅頭に茶饅頭…江戸時代の砂糖の値下がりと日本のおまんじゅう文化発展の関係

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酒饅頭に茶饅頭…江戸時代の砂糖の値下がりと日本のおまんじゅう文化発展の関係

以前の記事では、日本の禅僧と中国からやって来た職人の出会いで日本式の饅頭が生まれ、その子孫が徳川家康と出会って、饅頭を定着させていく経緯を紹介しました。

お饅頭と徳川家康の深い関係?日本での最初のお饅頭はあんまんが元祖

今回は、江戸時代における饅頭の発展と現代に至るまでを紹介していきます。

甘味料が食文化史を変えた?砂糖の値下がりが饅頭の普及を促した

林浄因が伝えた、餡入りの饅頭作りに欠かせないのは、何と言っても甘味料です。アマズラと言う古代から伝わる甘味料や、輸入品の砂糖が少なかった南北朝・室町時代と異なって南蛮貿易で砂糖を多く輸入できるようになった近世は、饅頭を庶民の食文化として広める舞台でした。

饅頭に使う砂糖は輸入に加え、後期は奄美など国内生産もできるようになったため、安価とまではいかずとも、民衆や下級武士にも手の届く品物になりました。それによって我が国の饅頭は、お菓子として独自の発展を遂げます。

山芋と米粉を使った薯蕷(じょうよ)饅頭、酒種で発酵させた酒饅頭、黒砂糖を用いた茶饅頭など、今も銘菓として売られている饅頭の原型とも言うべき様々な物が作られ、地方色豊かに発展していきました。

弥次喜多道中にも欠かせない饅頭

江戸時代を代表する庶民文学の代表格でもある『東海道中膝栗毛』には、日永の追分(今の三重県四日市市)で、饅頭が登場するエピソードがあります。

『名物の饅頭のぬくといのをあがりやあせ』

要約すると名物である出来立て饅頭はいかがですか、と勧めている売り子の女性がいる『鍵屋』と言う店の描写です。

これは、膝栗毛が成立した時期である享和2年(1802年)から文化11年(1814年)には甘い饅頭を通行人に供することが普通に行われており、饅頭が庶民の食べ物として普及し、愛好されていたことを意味します。なお、弥次さんと喜多さんはお金をかけて金毘羅参りの巡礼さん(実は手品師)と大食い対決をして幻惑され、負けて賭け金を取られてしまうオチがつきます。

その後、265年に及ぶ江戸時代が終わり、明治維新で新時代が到来したことで、様々な食文化が導入されますが、饅頭は人気が衰えるどころか、時代と共に発展し続けている食品です。洋菓子や本場中国の点心と合作された創作菓子は、新たなる地方銘菓としての地位を確立しています。

余談ですが、落語『まんじゅう怖い』のモデルになったお話は林浄因が生まれた中国南部を中心に栄えた明でまとめられた笑話集『笑府』だと言われています。その点も、菓祖神である浄因の導きに思えてしまうのは、筆者だけでしょうか。

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