天才テリー伊藤対談「大橋美加」(1)口数の少ない父の姿が痛々しかった (2/2ページ)

アサ芸プラス

大橋 そのおかげで、最初に胃ガンが見つかった時は早期発見で、胃を半分摘出するだけで済んだんです。それだけに79歳で次のガンが見つかった時はショックが大きかったんです。「あんなに気をつけていたのにダメだったのか」と。

テリー その時は中咽頭ガンでしたよね?

大橋 はい。それからは、手術したあと検査するとまた新しいガンが見つかって、という繰り返しの中、どんどん体が弱っていって。

テリー お見舞いもしょっちゅう行ってたんですか?

大橋 最後のほうはできるかぎり。ただ、入院していたのが千葉の病院で、都内からは少し遠かったので、週に1回行くのが精いっぱいでしたけれども。

テリー その頃は、巨泉さんとどんなお話をされたんですか。

大橋 父はいつも明るくて、周りにいる人をいつも楽しませる、サービス精神旺盛な人で、それまで私たちが会いに行って、父が1分も黙ってることなんてなかったんです。

テリー とにかく頭の回転が速くて、話もおもしろい方でしたからね。

大橋 なのに、最後のほうはすっかり口数が少なくなって、あまり話ができませんでした。すっかり痩せて弱ってしまって‥‥それほど元気がないんだと思うと、もうそれだけでいたたまれなくて、何を話しかけていいかわからなくて。

テリー それは戸惑いますね。じゃあ、最後に美加さんの思いを伝えることもあまりできなかった?

大橋 そうですね。ただ、私は子供の頃、父と一緒に暮らしていませんでしたから、その罪滅ぼしであるかのように最後まで私の子供たちをかわいがってくれたのがうれしかったです。彼らにとって父は、人生の指針みたいな存在になりました。何を聞いても答えてくれるし、いつもおもしろい話を聞かせてくれて、笑わせてくれて。その思い出は、何よりも大切な私の宝になりました。

テリー そうか、じゃあ、よい時間を過ごされていたんですね。

大橋 でも、子供たちもこれからやっと一人前になろうという時でしたから、まだまだ生きて、その成長をずっと見ていてほしかったです。

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