ルノー=日産アライアンスが世界販売台数で初の首位を獲得。これまでの名車を振り返る (3/8ページ)

イキなクルマで

ライバルのトヨタ・コロナとの販売競争も熾烈を極め、これは「BC戦争」と呼ばれています。その後もユーザーの声に真摯に耳を傾け、時代に沿った真面目なクルマづくりを行って日本のクルマ社会を支えたのです。

■日本の自動車黎明期を支えたサニー

1960年代の日本、それはオリンピック景気に湧いて高速道路が雨後の筍のごとくつくられ、モータリゼーションがひとつの転換期を迎えた時代でした。そんな時に生まれたクルマが、サニーです。細部に至るまで合理的な設計は、当時のヨーロッパの小型車の影響を受けてのもの。その後は時代の流れを映すかのようにデラックス化が進み、1985年に発売された6代目(いわゆる「トラッド・サニー」)でひとつの頂点を迎えます。1990年から販売された7代目は日本国外でも高い人気を誇り、メキシコでは「ツル」という名前で2017年まで生産されました。モータースポーツでも活躍し、多くのドライバーを輩出したことで有名です。

■名車の実質的後継車としてデビューしたバイオレットphoto by 天然ガス(CC 表示-継承 3.0)

名車510型ブルーバードのあとを継いで登場した610型ブルーバードUは、高級志向が強すぎて510型ユーザーが乗り換えを躊躇する事態が起こっていました。そこで日産はサニーとブルーバードUの間を埋めるべく、新しい車種を企画します。これが、バイオレットです。当時流行していた複雑なラインを取り入れた曲線基調のスタイリングは斬新でしたが、後方視界が悪いなど実用性に欠ける一面も見られました。この声に応え、モデル途中で大幅なスタイリング変更を行うことになります。その一方、ラリーやレースといったモータースポーツでも幅広く活躍し、510型の後継車としての役割をしっかりと果たしたのです。

■コアな旧車ファンに人気の高いプレジデントphoto by Ypy31(CC0)

日産を代表するプレステージセダンとして存在していたのが、プレジデントです。戦後初の3ナンバー乗用車であったセドリックスペシャルの後継車として、1965年に誕生しました。

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