まるで死神?暗闇をさまよい歩く不気味な影と「集合的無意識」
とんでもない写真がアメリカで話題になっている。写真をご覧いただこう。なんともまがまがしい姿だ。この悪魔のような人影は、アメリカのアリゾナ州に住むリチャード・クリスチャンソン氏が深夜に散歩していたところ偶然目撃し、撮影したものだ。Facebookにこの写真がアップされるや、ネットでは収集のつかない騒ぎとなり、《大きな災いの前触れだ!》、《世界の終わりが近い》などと、マニアを中心に、大きな議論を巻き起こしているのだ。後で説明するがこれは『集合的無意識状態』と言えよう。
あわてて撮影したらしく、画像を拡大しても不鮮明で細部はよく分からない。この人影は巨大な体を有しており、ふたつの大きな翼と頭にはツノらしき物が生え、周囲を圧倒する独特で異様な存在感を放っている。しかし、全体的なシルエットは非常にスタイリッシュであり、日本の人気漫画『DEATH NOTE』に登場する死神『リューク』を彷彿とさせる。
死神と集合的無意識
昔から、「死神を見た者は死ぬ運命にある」という伝承が和洋を問わず存在し、死神は不吉の象徴として恐れられてきた。同時に、死神は“死と再生を司る神”としても崇められてきた。近代に入ると、世界的な心理学者であるカール・グスタフ・ユングは、「『死』と『生』には個人を超え、人類全体で共有する“集合的無意識”が密接に関係している」と言った。
それでは、死と生に関わる“集合的無意識”とは何だろうか? 別に難しい話ではない。具体例を基に考えよう。なぜ男女はお互いに惹かれあうのか。海の水平線を見たり、山へ森林浴に行くと、妙に心が安らぐのはなぜか。
これは、太古の昔より男女が交わり子孫を残していたから、男女は惹かれ合うし、海や山から食料を得て生活していたから、海や山に安堵の感情を覚えるのだ。死と生に対する無条件な畏怖の念も、これらの例と同じだ。無数の生と死の間で脈々と受け継がれた“遺伝子の記憶”が、我々人類の無意識に作用しているのかもしれない。
胡蝶の夢に見る集合的無意識
集合的無意識を理解するためのわかりやすい例としては、紀元前の思想家である荘子がこんな物語を書いている。
《ある日荘子は自分が蝶になり、空中をひらひらと飛んでいる夢を見た。そして夢から覚めてみると”果たして自分が蝶になった夢”を見たのか、あるいは”いまの自分は蝶が見ている夢”なのか、分からなくなってしまった》
まさにこれこそが集合的無意識を明快に表現している。種の概念を超え、生きとし生けるもの全てが無意識で繋がり、知らない間に夢を共有しつつ生きているとすれば……闇夜をさまよい歩く、“死と再生の象徴”たる死神も、意外と怖くはない。
【動画】
※ Angel Or Demon Spotted In Phoenix, Arizona? – Paranormal Crucible