男前すぎる!西郷隆盛と対峙した偉大な幕臣、彼の名は「山岡鉄舟」[後編] (2/3ページ)

Japaaan

「西郷さんがお仕えしている島津のお殿様が、もしも慶喜公と同じ立場であったならば、貴男は島津様を人質になさると言うのですか?」

当初こそ、“天皇の命令”を盾にして幕府の言い分を蹴ろうとしていた西郷でしたが、元々が情に厚かった彼は、主君と幕府を思う鉄舟の一言で心を動かされます。それによって幕府と新政府軍の交渉はスムーズに進み、遂には無血開城となったのでした。

反逆者…だけど大歓迎?皇室からも信頼された鉄舟

さて、西郷との対談で一躍時の人となった鉄舟は、開城の際にも海舟に同伴し、維新後は駿府に徳川家と共に移り住み、旧友の中條金之助ばかりか、あの清水次郎長親分とも仲良くなるなど相変わらずのバイタリティーを発揮しました。

そんな鉄舟は旧幕府軍だけでなく、新政府からも一目置かれていました。廃藩置県で官僚として取り立てられたり、西郷の依頼で10年間を条件として明治天皇の侍従になるなど、かつての敵からも重用されました。旧幕臣の中には逆賊扱いされるなど容赦ない報復を受ける人が少なからずいたにもかかわらず、鉄舟は破格の優遇を受けたのです。

侍従として取り立てられた鉄舟は、明治天皇が泥酔して相撲を取ろうとしたのをいなして諌めたり、皇居が火事の時にはいち早く駆けつける、時には宮中にあんパンを紹介するなど、皇室からも信頼が厚く、そうしたエピソードには事欠きません。

始末に困る人…だからこそ大人物だった山岡鉄舟

約束の10年が過ぎて侍従を辞した後も、鉄舟は様々な方面で才能を発揮します。禅、書はもちろん、剣でも精進を重ねて一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)なる剣術の流派も築きました。

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