天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 宇野宗佑・千代夫人(上) (2/2ページ)

週刊実話

首相就任直後、千代はフランスのアルシュ・サミットへ宇野に同行したが、宇野と親しくサミットにも同行した政治部記者のこんな証言が残っている。
 「夫妻は宇野が首相になる以前は、宇野が東京、千代夫人は多く宇野の地元・滋賀に分かれて生活していたが、首相就任とともに首相公邸で一緒に住むことになった。公邸に引っ越してすぐスキャンダルが表沙汰になったのだが、それこそ夫人は“忍の一字”、それでも少なくとも表には愚痴一つこぼすことはなかった。公邸の台所は薄暗くて手狭な感じだったが、お手伝いさんと2人で、よく割烹着姿で黙々と食事の用意をしていた姿を覚えています。
 普段でも、手にはマニキュア、指輪もせず、着ているものもバーゲンで買ってきたものと、ひとえに質素に控え目につとめていたような印象がある。
 サミットではすでに『首相とゲイシャ』が喧伝されていたため、フランスの新聞はこの宇野夫妻をまったく相手にしなかった。非公式の出席首脳の夫人たちの会合でも、千代夫人は英語、フランス語もダメということもあって、他の夫人たちの和気あいあいから一人孤立、疲労の色もありありで、なんとも気の毒だった」

 千代はそんなサミットから帰国するや、参院選の応援に無理やり担ぎ出された。「妻への同情」をアテに、女性票離れを防ごうとする自民党執行部の“戦術”であった。前出の政治部記者は、例えば、神奈川県での集会で痛々しくも声を震わせ、聴衆に頭を下げる夫人の姿を目撃している。
 「『総理、総裁の妻であり、宇野の妻であります。宇野への批判に対し、心より深くお詫び致します』と、言葉少なにひたすら頭を下げていた。“針のムシロ”からの逃げ場はなかったのです」

 そうした選挙戦のさなか、千代は短く週刊誌のインタビューに以下のように答えたことがある。
 「(スキャンダルについて)主人は私に、『別に気にすることはない』と。私も主人に、『はい。信用していますから』と申しました」(『女性自身』平成元年7月4日号)
 あれだけ喧伝されて「気にすることはない」とは宇野もナカナカだが、千代の短い受け応えの中には、その苦衷が知れる。

 振り返れば、宇野と千代の結婚は、なるほど宇野の迫力に満ちた“口説き”文句に始まっている。宇野は、こう言ったそうである。
 「本当に早く(結婚OKの)返事してくれなかったら、君と刺し違えて自分も死ぬ」
 「3本指」の口説き文句もかくや、と彷彿させるのだった。=敬称略=
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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