大杉漣死去…絞り切れない追悼作品に言葉を失う関係者

まいじつ

大杉漣死去…絞り切れない追悼作品に言葉を失う関係者

いぶし銀の名俳優として数々の作品に出演してきた大杉漣が、2月21日午前3時53分に急性心不全のため死去した。66歳という若さだった。

大杉は出演中だったテレビ東京の連続ドラマ『バイプレイヤーズ』の撮影で訪れていた千葉県内ホテルの自室で体調を崩し、共演していた俳優の松重豊らに介抱されて同県内の病院に搬送されたが、そのまま帰らぬ人となってしまった。

大杉は数々の映画、ドラマで活躍した、まさに“バイプレイヤー”。あまりの突然の旅立ちに、芸能界は悲しみに覆われた。

この日、自宅では長男で写真家の大杉隼平氏が対応し、「3日前に食事を一緒にしたが、本当に元気で、何の不調もなかった。急なことでとても驚いている」と語った。持病はなかったという。

大杉は1980年、新東宝映画のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画デビューし、1993年には北野武監督の『ソナチネ』に出演。存在感抜群の演技派俳優として確固たる地位を築いた。

その後も北野作品には数多く出演、テレビドラマも1クールのうち1つには必ず配役されるほどの活躍ぶりを見せた。最近では日本テレビ系列の人気番組『ぐるぐるナインティナイン』で人気のコーナー『ゴチになります!』などバラエティー番組にも多く出演し、姿を見ない日はないほどだった。

「総理大臣、サラリーマン、刑事、やくざ、優しいお父さんからサイコパスな感じの中年男まで、本当に何でも演じる役者さん。“300の顔を持つ男”という異名はまさにその通りでした。大杉さんの追悼作品を放映するにしても、あまりにも数が多過ぎて絞りきれません。いま製作の人間と話していますが、インタビュー場面などは限られるし、難しいです」(テレビ局製作スタッフ)

サッカー好きとしても有名だった

大杉はサッカー好きとしても知られ、地元の徳島県のJリーグチーム徳島ヴォルティスのサポーターだっただけでなく、自身も『鰯クラブ』というチームでプレーしていた。

「Jリーグのどこかのチームのサポーターやファンならば、大杉さんがプライベートで徳島の試合を頻繁に観戦しに来ることは有名でした。徳島のアウェーゲームで、熱心なサポーターが数えるほどしかいないようないない試合でも、応援席の端っこに大杉さんがいるのは珍しいことではなかった。徳島を相手にしたチームのサポーターのなかには、カメラの望遠レンズなどで大杉さんの姿を探して『いた!』と喜んだ人も多いでしょう。有名な俳優ですけど、特に徳島のサポーターたちは“サッカーが好きな普通のおじさん”として接していて、試合中にサインを求める人はいませんでした。だから、サッカー好きの人たちは“俳優・大杉漣”を失ったと同時に、“サポーター仲間の大杉漣”を失ったと感じている人も多いのです」(サッカージャーナリスト)

惜しむ声はしばらく収まりそうもない。映画界、芸能界、サッカー界は、あまりにも大事な人を失くしてしまったようだ。

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