平安時代の雑学【1】この世の春を謳歌した平安貴族、その生活ぶりはなかなかカオス

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平安時代の雑学【1】この世の春を謳歌した平安貴族、その生活ぶりはなかなかカオス

平安時代の貴族と言うと、皆さんはどのような想像をしますか?『源氏物語』のような熱い恋愛、映画『陰陽師』や大河ドラマ『平清盛』のように陰謀が入り乱れる世界に生きる人々のイメージが強いのではないでしょうか。今回は、そんな貴族達のリアルなスケジュールを紹介します。

起床は何と午前3時…超朝型だった平安貴族!

朝廷に仕える貴族の一日が始まるのは、午前3時に行われる開諸門鼓(かいしょもんこ)と言う合図でした。これは御所、つまり皇居の出入り口がこれから開きますよ、と言うお知らせをするものです。それに伴って起床して身支度をするのですが、迷信としきたりが支配していた平安時代なので、かなり複雑でした。

まず、自分が属するとされる星の名を7回唱えてから顔や星、暦を基準にした占いを行って吉凶を判断し、吉ならば出勤します。不吉であれば欠勤をしなくてはなりません。そして、前日の出来事を日記にし、お粥を食べて腹ごしらえをしてから歯磨きを済ませ、だいたい午前6時には出勤します。

ここでピンとくるかもしれませんが、朝廷とは早朝に天子(この場合は天皇)が臣下から拝謁をお受けになり、政務を行った事に由来します。この時代は、朝廷の語源通りに夜明けと共に貴族達は皇居に参上し、朝議(朝廷の会議)を行っていたのです。

帰宅はお昼前、その後は遊び三昧!でも、それだってひと苦労だった

朝廷に参上した貴族達は天皇の御前で朝議に出席したり、或いは自分の担当部署で政務をお昼前まで行いました。私達の感覚では、お昼ご飯を摂ってから続きをするのかな?と思いがちですが、何とそれで政務はおしまいなのです。

今でも早朝勤務する人は帰宅時間も早いものですが、午前で終わると言う人はなかなかいません。しかも、帰宅してから正午くらいに“朝食”(朝粥は朝食では無かった)を食べ、それからは和歌や史書などの勉学、蹴鞠に代表されるスポーツをする人もいれば、すごろく、貝合わせなどで遊ぶ人もいました。

ここまで見ると、
「勉強や鍛錬ならまだしも、昼間から堂々と遊べるなんて凄く羨ましいな」
と思った方も多いことでしょう…筆者もその1人です(笑)。しかし、貴族の遊びは社交儀礼につながっており、遊びをこなせない人は好ましくありませんでした。

教養としきたりが重要視された朝廷で、天皇や大臣と言った方々をサポートし、時には導くのも貴族の仕事です。妻ないしは夫を得るためにも、“あのお方は素晴らしい教養をお持ちだ”と称えられるような箔を付ける必要だってありました。つまり、貴族の遊びは宮廷社会で生きるために行う、いわば命懸けのものとも言えたのです。

午後4時になると夕食の時間となり、日没には就寝して明日に備えますが、夜の儀式や宴、仕事などがある時は、徹夜をした人もいたと言います。

どうですか?これがこの世の春を謳歌した平安貴族の一日のスケジュールです。一見すれば上級貴族らしく優雅ですが、かなりハードな部分もありましたし、下級の貴族(つまり役人、武将)ともなれば現代のように長時間勤務もあったそうです。仕事をするともなると苦労が絶えなかったのは、平安時代の貴族も現代の社会人も変わりないのかも知れませんね。

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