天才テリー伊藤対談「カミナリ」(2)永野さんの助言が大きかったんだね (2/2ページ)
お笑い芸人である以上、「賞レースには出るべきだ」と思っていたので、記念受験みたいな感じで漫才を作ったら、コントより反応がよかったんですよ。そこから1年漫才を頑張ったら、次は決勝まで行けました。
テリー それがブレイクのきっかけになったと。漫才とコント、いったい何が違ったんだろうね。
たくみ 中学の時はずっと意味のわからないことをやって笑っていたのに、いざ芸人になってネタを作る段になると、何か自分たちの身に合わないことをやっていたんだと思います。
テリー みんなにウケる、シャレたネタを狙ったわけだ。
たくみ そうです、そうです。茨城弁じゃなく、なるべく標準語でしゃべったりして。でもその時、事務所の先輩の永野さんが、「自分たちがいちばんしゃべりやすいやり方で、地元の友達を笑わせるようなネタを作ったほうがいいよ」とアドバイスをくれたんです。
テリー なるほど。
たくみ で、あらためて「まなぶくんがいちばんおもしろいのはどんな時だろう」と考えてみたら、普通の会話の中のミスだったんです。例えば、「小学2年の時に賞状をもらったんですけど」っていう話から始まったのに、結局「賞状もらった話、関係ねえじゃん!」みたいなオチになったり(笑)。だから、そういうネタを漫才にしてツッコミを入れていったら、今の形にたどりついた感じです。
テリー で、茨城弁も復活させたと。
たくみ はい。それに僕、身長が小さいから少しでも大きく見せようと思って、アフロの髪型にしていたんですよ。(笑)。それも、永野さんが「普通の髪型で、口が悪いほうがギャップがあっておもしろいよ」という助言をくれたので、今の髪型にしたんです。
テリー へぇ、すごい。永野さん、恩人だね。
たくみ 足向けて寝られないです、本当に。