問われる墓の存在理由 墓は再定義が必要? 改めて考える墓 (2/3ページ)

心に残る家族葬



「イタコ」などで有名な青森県の霊場 恐山は「死者が集まる場所」として今も参拝客は後を絶たない。山を管理している南直哉(曹洞宗)の著書「恐山」には参拝する人たちの深い「想い」が綴られている。

恐山には背広、学生服、ウエディングドレスなどを持って来る人が多くいるという。幼くして子どもを失った親が、生きていれば重ねていたはずの年齢に合わせて服を買い替えるのである。
花嫁人形や花婿人形をお供えする人も多い。結婚前の子どもを亡くした親が、せめてあの世で結婚させたいと願ってのものだ。そして、湖に向かって、亡くなった親や子ども、会いたい人の名を一斉に叫ぶ人たちの情景が綴られている。大の大人が泣きながら一心に叫ぶのである。それを滑稽だと思わせない何かがそこにはある。

本書では触れていないが、賽の河原と呼ばれる河川敷に石が積まれているのはよく知られている「賽の河原」は、親より子が先に死ぬ「逆縁」は重い罪とされ、幼くして死んだ子どもが石を延々と積み上げる罰を受けているという和讃である。子どもたちはやっと石を積み上げると、恐ろしい鬼がやってきて石を崩してしまい、子供たちは泣きながらまた積むのだ。そんなわが子の苦痛を少しでも和らげようと、親も石を積むのである。石を積む親の気持ちは計り知れない。そこにはロマンチシズムも現代を支配する科学的合理的思考もない。ただただ子を想う「想い」だけである。

この人たちは何を求めて恐山を訪れるのか。大切な人に「また会いにくる」「会いたい 会いたい」。その「想い」を抱えてやってくるのだ。「千の風」を受け入れれば、如何ほどかは救われるかもしれない。いつでも形を変えてそこにいるのだから。しかし彼ら彼女らにとって死者は風でもなければ雨でもない。形のある「あの人」そのものだ。では霊魂の存在を信じているのかというと、確たる認識があるわけではないだろう。言葉にはできない「想い」。あえて言うならやはり「会いたい」。死者はやはり「あの人」なのだ。会いたくても会えない、でも会いたい「あの人」なのだ。

いつも近くにいる、そんなロマンチシズムに浸れないほどの慟哭に陥った人達が、どうしようもない激情にかられ、恐山へ向かい、あの世との境に立つ。
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