これが本当の粋というもの。謙虚すぎる5代目市川團十郎の生き方 後編 (2/3ページ)
寛政8年に引退する際に出された絵。豊国「一世一代口上」Wikipediaより
質素すぎた隠居先その隠居先の反古庵がまたひどいもので、間取りは六畳にちょっとした流し台が付いているだけでした。見上げれば天井板がなく茅葺き屋根がむき出しという粗末さ。風が吹くたびに屋根からチリが落ちてくるので、天井に竹の棒を渡してそこに屏風を乗せてチリを防いだとか。
「この屏風について狂歌を詠んだのですが、先生どうでしょう」と言って京山に聞かせたのがこちら。
「天井をはれば鼠はさわぐなり 水もたまらず月も宿らず」
天井板を張れば鼠が騒ぐだけだ。水もたまらないし水面に月が映ることもない、それでいい。「足るを知る」とはまさにこの事でしょう。京山はこの歌を聞いて「役者には惜しき人物なり」、つまり狂歌師としても素晴らしい腕前だと評価しています。
恥ずかしげもなく質素な暮らしぶりを友人に見せてしまうばかりか、その様を洒落っ気に変換して狂歌に詠んで楽しむ心。ちっぽけなプライドを超えた場所にある真の豊かさとはこの事だと思い知らされるエピソードです。
仏壇に紙白猿にはまだまだ面白いエピソードがあります。反古庵の仏壇には仏像などがなく、白い紙だけがペラリと貼ってありました。京山らが「あれはなんですか」と訊くと、白猿答えていわく「あれは西の内紙です」・・・極楽浄土は人間界の「西」の方角にあるとされているので、「西の内紙」という種類の紙を貼って極楽浄土がわりに拝んでいるというのです。京山は「そのジョークがあまりにパンチがきいて面白かったのでいまだに忘れられない」と随筆に書き残しています。