茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった

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茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった

先日は、江戸時代に浮世絵などにも描かれるほどアイドル的な人気を誇っていた、茶屋で働く茶屋娘を紹介しました。

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茶屋はお客にお茶や和菓子を提供する喫茶店のような存在でしたが、実は”裏の顔”を持つ茶屋も存在しました。今回は江戸時代に存在した、色々なタイプの茶屋を紹介します。

お茶や和菓子でホッと一息「水茶屋」

鈴木春信「鍵屋 お仙」

茶屋と言えば一般的に水茶屋(みずぢゃや)のことを指します。水茶屋とは道端でお茶、お菓子、お団子などを提供するお店です。時代劇で旅の途中で休憩で立ち寄ったりしますね。神社やお寺の境内にもよくありました。

この水茶屋には看板娘がいることもあり、それが先日紹介した茶屋娘たち。笠森稲荷境内の鍵屋で働いていた「お仙」は最も有名な茶屋娘です。

男女の密会や芸妓を呼ぶことも「待合茶屋」

豊原国周「開化三十六會席 下谷広小路 鳥八十」

待合茶屋(まちあいぢゃや)とは、その名のとおり待ち合わせで使ったり、会議や密会などのために席を貸したりする茶屋のこと。男女の密会にも使われていて、出合茶屋(であいぢゃや)とも呼ばれます。

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また、待合茶屋に芸妓を呼んで飲食を楽しむための場所としても使われていました。茶屋にはメインディッシュになるような料理は置いていなかったので、仕出し屋などに頼んで料理を用意していました。

芸妓とそのまま売春行為に及ぶ客や、遊女を呼ぶ客もいたようで、寝具が備わっているお店も少なくなかったようです。

幕府非公認。遊女を置いていた「色茶屋」

喜多川歌麿

色茶屋(いろぢゃや)とは、遊女を置いていた茶屋のこと。先述した待合茶屋と似た部分があります(待合茶屋と色茶屋を一括りにする場合も)。江戸時代には吉原遊郭をはじめとする幕府が公認する遊郭がありましたので、色茶屋は非公認の売春宿となります。

吉原遊廓などで遊べるほどお金がなかった庶民たちは、代金の安い色茶屋を使っていました。

男娼が男色を売っていた「陰間茶屋」

鈴木春信 (部分)

陰間茶屋(かげまちゃや)とは、男性が男性に対して売春をしていた場所。陰間とは男色を売った男娼の事を言います。もともとは、歌舞伎で修行中の少年役者のことを”陰の間”と呼んでおり、そこからきています。

陰間は11〜12歳くらいの少年から20歳前後の男性が多く、15〜17歳くらいは盛りだったとか。歌舞伎の若い役者たちが売ることは少なくなかったようです。

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このほか、芝居茶屋や料理茶屋など料理を提供する形態のお店もありました。芝居茶屋は歌舞伎を鑑賞するお客のお食事どころとして、料理茶屋は、料亭や割烹の形態へと発展した茶屋とも言えます。

江戸時代には様々なタイプの茶屋があったんですね。水茶屋の形態からはじまり、そこに人は集まり出会いがあり。場所貸しというスタイルが生まれれば、そこには裏のビジネスも登場してくるわけですね。

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