天才テリー伊藤対談「畑中葉子」(2)引っ越し先に平尾さんがいたなんて (2/2ページ)

アサ芸プラス

「本科」というクラスに上がると、レコード会社や芸能プロダクションのオーディションを受けに行くことができるんです。ずっと落ち続けていたんですが、ある時「カナダからの手紙」という先生の曲のオーディションがありまして。

テリー あ、その曲のためのオーディションなんですか?

畑中 そうなんです。しかも受けた際に、先生のデュエットの相手とは聞かされていなかったんですよ。

テリー それに合格したんだ。よくできた話だなァ。でも、普通の高校生が、いきなり大ヒット歌手になるわけじゃないですか。当時どう思ってたんですか?

畑中 う~ん、忙しかったですけど、思ったほど何も変わらなかったというか。事務所にも普通に電車で通っていましたし、お給料は母に渡して私は月5000円のお小遣いをもらっていただけなので。自分では「まるで2人の畑中葉子がいる」みたいな感じでしたね。

テリー 確か、最初の結婚はずいぶんと早かったですよね?

畑中 はい。平尾先生と1年間デュエットさせていただいたあとなので、20歳の時ですね。あれ、実は事務所にも内緒だったんです。

テリー 年齢もさることながら、当時あれだけのヒットを出した直後だから、なおさら驚きましたよ。

畑中 ああ、外から見ていたらそうですよね、最後は引退するって言いだしちゃうんですからね(笑)。でも、当時はいろいろあったんですよ。

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