蕎麦のざる・もりの違いは?「せいろ」はなぜ上げ底?蕎麦の歴史をおさらい (2/3ページ)

Japaaan

また、当時は濃い口醤油が発明されていなかったため、現在のようなめんつゆではなく、味噌をこしたものに鰹節など薬味を混ぜたものにつけて食べていました。

現在では蒸すことはなくなりましたが、今でも蕎麦を蒸籠の器に乗せ「せいろ」という品名で提供している店も多いですね。

つなぎに小麦粉を遣うようになって麺が茹でやすくなり、蕎麦は麺状になりました。「蕎麦切り」と呼ばれる軽食としての爆発的に普及します。

江戸の屋台名物「二八蕎麦」は、享保年間(1716~36)に登場。その頃の蕎麦1人前の値段は16文と幕府に決められていたので、二×八で16文とする、という説が専ら有名ですが、小麦粉粉二割り、蕎麦粉八割りで二八蕎麦という説もありますね。

ちなみに16文になるのだったら他の数字でもいいじゃないかと思いそうですが、探してみると16になる数は2×8かその逆、4×4しかありません。4×4だと四四(しし)となって縁起が悪いですね。

鬼あざみ清吉(三代歌川豊国画) ざる・もり・かけ

ではざる蕎麦、もり蕎麦、かけ蕎麦の違いは何でしょう。蕎麦の歴史をざっと振り返ってみます。

寛永20年(1643年)…日本初の料理専門書「料理物語」に蕎麦切り登場 元禄時代(1688年頃)…忙しい肉体労働者などが蕎麦に汁をかけ食べ始める(ぶっかけの原型) 享保年間(1716年~)…深川の「伊勢屋」が竹ざるに蕎麦を盛って提供。たちまち評判に(ざる蕎麦の誕生) 寛延4年(1751年)…新材木町(現在の東京都中央区)の「信濃屋」が汁をかけて食べるやり方を「ぶっかけ蕎麦」として売り出す。
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