結末が思い浮かばない(汗)推理小説の結末が思いつかず読者に謝った大文豪って誰?

Japaaan

結末が思い浮かばない(汗)推理小説の結末が思いつかず読者に謝った大文豪って誰?

文豪でも「結末が思い浮かばない」ことがある

筆者は、2012年頃よりライターとしての活動を始めました。執筆のテーマにはさまざまなものがありますが、最初からタイトルや内容が決まっている場合と、全て自分で考える場合があります。

全て自分で考える場合は、ある程度自由に書くことができるという嬉しい点があります。その代わり「ネタが思いつかない」「結末が思いつかない」ということも起こりうるのが難しいところです。

さて「作品の結末が思いつかない」というのは、なにも筆者のような一介のライターだけに限ったことではありません。皆さんもよく知るあの文豪も、連載中の小説の結末が思いつかず、なんと読者に謝ったことまであるというのです!

前代未聞!作者が読者に謝った!?

その文豪とは、『明智小五郎シリーズ』『怪人二十面相』などの作品で知られ、日本推理作家協会初代理事長を務め、正五位・勲三等瑞宝章を追贈された作家・江戸川乱歩(えどがわらんぽ)です。

アメリカの小説家・詩人のエドガー・アラン・ポーにちなんだペンネームの彼は、1923(大正12)年に短編推理小説『二銭銅貨』で作家デビューしました。

江戸川乱歩 Wikipediaより

表題の事件は、江戸川乱歩が自身のデビュー作の連載されていた推理小説専門誌「新青年」に連載中だった『悪霊』という作品で起こりました。

元々長編小説の筋書きをまとめることがあまり得意ではなかった彼は、長編小説を「場当たり的」に執筆して話の展開に行き詰まることがあり、時にはそれが休筆に繋がってしまうことさえありました。

そして「程度の低いものを書いている」という意識に苛まれることもあったといいますから、作家として中途半端な仕事をすることがどうしても許せなかったのでしょう。

この時も、霊媒師が「犯人はこの中にいる」と言い、その秘密が次回いよいよ暴かれる…というところまでストーリーが進んだところで、
「『悪霊』失敗のひとつの理由は、種々の事情の為に、全体の筋立ての未熟のまま、執筆を始めた点にもあったと思いますが、抜け殻同然の文章を羅列するに堪えませんので、ここに作者としての無力を告白して、『悪霊』の執筆をひとまず中絶することに致しました」
という「お詫びの文」が載り、休載となりました。

江戸川乱歩 Wikipediaより

そこまでして執筆依頼を引き受けた理由は?

『悪霊』は、1934(昭和9)年1月号までに3回中断しています。乱歩がそこまでしてこの作品の執筆依頼を受けた理由は、やはりデビュー作『二銭銅貨』を連載してくれた「新青年」からの依頼だったからでしょう。

しかしこれを機に彼は「作家としての自分の時代は過ぎた」と感じ始めたのか、1935(昭和10)年頃から評論家として広く活躍し始め、太平洋戦争後は新人発掘やプロデュースにも力を入れるようになっていったのでした。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「結末が思い浮かばない(汗)推理小説の結末が思いつかず読者に謝った大文豪って誰?」のページです。デイリーニュースオンラインは、文豪江戸川乱歩日本語・日本文学カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る