天才テリー伊藤対談「上柳昌彦」(3)タモリさん鶴瓶さんと貴重な時間を

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天才テリー伊藤対談「上柳昌彦」(3)タモリさん鶴瓶さんと貴重な時間を

テリー 本にはタモリさんや笑福亭鶴瓶さんとの思い出も書かれているよね。あらためて、どういう出会いだったか、話してもらえます?

上柳 僕は86年から「HITACHI FAN! FUN! TODAY」という深夜の音楽番組を担当していたんです。当時はバンドブームですから、ブイブイいわせていたんですが(笑)、90年3月に番組が終わって、いきなり仕事がゼロになったんです。

テリー ありゃりゃ、そりゃキツいね。

上柳 何もやることがなくてプラプラしてたら、たまたま「タモリの週刊ダイナマイク」の相手役に空きができて、タモリさんを毎週7年間ずっと近くで見られることになりました。タモリさんって、本番前に弁当を食べながらしゃべっている時とスタジオに入った時と、まったく空気が変わらないわけですよ。あまりにも普通、あまりにも博覧強記。やっぱりカッコよかったです。すごく贅沢で、大きな経験になりました。

テリー 確かにタモリさんはいつでもフラットな印象で、逆にそこにすごみを感じるんだよな。じゃあ鶴瓶さんは?

上柳 入社後しばらくして番組を担当させてもらったんですが、全然うまくいかずに「困ったな」と思っている時に、たまたま大阪で放送されている鶴瓶さんのラジオ番組を聞いたんですよ。放送作家の新野新先生と組んだ「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」という番組なんですが、これがすごくおもしろかったんです。

テリー あれは話題になりましたよね。

上柳 そのことをラジオで話したところ、「突然ガバチョ!」など鶴瓶さんが出ている関西の番組をリスナーの人たちがビデオで送ってくれて、観たらやっぱりおもしろい。そこから鶴瓶さんのものの作り方に興味を持って、スタジオ見学に行かせていただいたりするようになったんです。ファンであろうとなかろうと関係なく、どんどん人にツッこんでいく鶴瓶さんの姿勢は、そばで見させていただいて勉強になりましたね。

テリー さすがはうえちゃんだね、若い頃からしっかりしてるわ。

上柳 本では、ニッポン放送で初めてテリーさんと会った時の話も書いていますけど‥‥。

テリー いやいや、俺のことはいいから(苦笑)。

上柳 当時「天才たけしの元気が出るテレビ」の打ち合わせは、たけしさんの「オールナイトニッポン」の放送前にやっていたんですよね。多くの人たちがたけしさんとサングラスをかけた坊主頭の人を取り囲んでいる。なのに誰もしゃべらなくて、僕がその向こうのトイレに行けないぐらい、空気がピリピリしているわけですよ。それを見ながら、僕は「あの坊主頭の人とは絶対に関わらないようにしよう」と思っていたんです(笑)。

テリー アハハハハ!

上柳 でも、それがのちにテリーさんだということがわかるわけですよね。で、あとでテリーさんにその話をしたら、あれはたけしさんに企画をプレゼンしている時間だったと。たけしさんに「イマイチだな」と言われてしまうと企画やセット、ロケの予定も全部ムダになる。「その時、俺は本当に悔しくて、泣きながら帰ったこともあるんだ」みたいな話をテリーさんがしてくれたんです。

テリー フフフ、そんなこともあったなァ。

上柳 こういう話こそ僕は本の形で残しておきたい、と思ったんですよ。

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