葬儀と関係なかった仏教が、葬儀と結びついた背景と親鸞の影響力 (3/3ページ)
■日本人の精神構造とは?
日本人の遺体、遺骨への思いは深い。震災・事故はもちろん、第二次世界大戦の旧戦地では、現在でも遺骨の捜索が続けられている。血の繋がりを重んじ、祖先を敬う日本人はどうしても遺体を川に棄てることなどできない。「葬式仏教」が求められたのはまさにそれ故だった。川に棄てよとする遺言は明らかに「葬式仏教」に反するものであろう。
本願寺(大谷廟堂)は親鸞の革命に反して、血統・血脈、そこからつながる葬儀・埋葬を選んだ。それは日本人の精神的土壌に適応したともとれる。皮肉にも革命家・親鸞は子孫を残したことにより、仏教では唯一、血族による伝統儀礼の継承が確立されたのであった。
親鸞は仏教史上最初の妻帯者である。従来の権威を否定した親鸞は「僧に非ず、俗に非ず、」とし、「半僧半俗」を称した。それ故、妻帯をする。「僧に非ず」であるから問題はないというわけである。
革命家ならではの自由な発想と言いたいが、その発想の土壌は、結局は血の繋がりを重んじる日本人の精神構造故だと筆者は考える。親鸞といえども日本人の精神構造に取り込まれることは避けられなかったのではないかと思われる。
■革命は再び起こるのか?
親鸞はその革命的な性格から、リベラルとか進歩的などと呼ばれる人達に人気のある思想家である。しかしその個性も、血の繋がりの重視、そこから葬儀・埋葬へ行き着く日本人の精神構造に革命を起こすことはできなかった。散骨などの進歩的な葬送方式がこの先どれほどの普及を見せ、どこまで日本人の精神構造に革命を起こせるだろうか?興味深いところではある。
■参考文献
■唯円 「歎異抄」 千葉乗隆 訳注 角川文庫 2013
■井上鋭夫 「本願寺」 講談社 2008