ペリー率いるアメリカ艦隊をおもてなし!江戸一番の料亭「八百善」のその後

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ペリー率いるアメリカ艦隊をおもてなし!江戸一番の料亭「八百善」のその後

先日、江戸時代の超高級料理店・八百善が台頭していく様子を紹介しましたが、今回はその後の八百善を幕末から現代にかけてのエピソードを交えて紹介します。

お茶漬だけでも十数万円!?もてなしも値段も最高峰、江戸時代の三つ星料理店「八百善」

某ドラマも顔負け!黒船艦隊の接待を担った八百善

歴史上の人物、特に文化の違う外国人を相手におもてなしをする作品は色々ありますが、戦国時代に取材した『信長のシェフ』、近代の宮中を舞台にした『天皇の料理番』が有名です。これらの名作に登場するような見事なもてなしをリアルで行ったのが、他でもない八百善でした。

八百善がそうした国際交流の場に初めて名を残したのは、ペリー提督率いるアメリカの艦隊関係者をもてなす料理の支度をして欲しいと幕府から要請され、同じ料亭である『百川』と共に饗応した時の事だと言われています。料理を用いた交渉・・・まさに、『信長のシェフ』や『天皇の料理番』の江戸バージョンとも言うべき一大イベントを行う料理屋として、八百善に白羽の矢が立ったのでした。

イギリス、ロシアに中国・・・近代以後も国際的な会食を受け持った八百善

こうして百川との協力体制の下、日本を代表して『おもてなし』する宴席を用意し、八百善はその偉名を更に高めます。一方でこの逸話には諸説があり、百川と共同だったのではなく、ペリーが八百善に来店したのだと言われるなど明確ではありません。また、この時に供された純和風の饗応は、味付けや素材などの面で今ひとつアメリカ側のお口に合わなかったと言う、少し残念なお話も伝わっています。

しかし、八百善が著名な料理屋であることは近代化以降、日本を訪れる海外の要人に知られていったのは紛れもない事実で、明治には来日されたイギリス王室やロシア皇室への歓待を受け持ち、昭和期に満州国皇帝の行幸があった時に料理を担当するなど、国内外ともに絶大な信頼と高評価を得ていました。

今も江戸時代から続く食文化とそれに込められた心意気を伝え続ける八百善

一流の料理屋として国内外の要人をもてなす店として八百善を紹介してきましたが、八百善の業績はそれだけに留まらず、江戸料理を幅広い層に向けて提供していきます。上野に出店したのを皮切りに首都圏各地に進出し、関東大震災や第二次世界大戦の空襲に見舞われながらも、江戸時代から続く食の技術と心を守り続けていました。

現在も八百善は『割烹家八百善株式会社』としておせち料理などの通販や料理教室、出版を通して江戸料理を提供し続けており、今でも五大堂明王院(神奈川県鎌倉市)で料理屋としても運営しています。江戸の食文化について本格的に知りたい、味わってみたいと思われる方は、料理や書籍を通して今も守られ続けている八百善の“粋”と共に味わってみるのも良いかもしれません。

画像:Wikipedia『会席料理』『黒船来航』より

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