「平成日本シリーズ史」阪神・淡路大震災翌年にオリックスが“悲願の”日本一! (2/2ページ)

アサ芸プラス

対する読売は2本のソロ本塁打で2点を返すのがやっと。投打に圧倒したオリックスが5‐2で快勝し、開幕から無傷の3連勝で一気に日本一に王手をかけたのである。

 いよいよ追いつめられた読売。だがここは“メークドラマ”でリーグ優勝を果たしたチーム。おめおめと負けるにはいかなかった。第4戦は7番で指名打者に入った大森がソロ本塁打1本を含む3打数2安打の活躍を見せるなど、下位打線で5打点を挙げ、投げては先発の宮本和知から4人の継投でオリッックスの反撃を1点抑え、5‐1で快勝。ようやくこの年のシリーズ待望の初勝利を挙げたのだった。

 それでもまだ3勝と有利な状況は変わらないオリックスだが、不安もあった。監督の仰木彬が近鉄バファローズを指揮した1989年の日本シリーズで、同じ読売相手に3連勝から4連敗を喫した過去があったからだ。

 第5戦。その不安通りに試合はオリックスが2回裏の無死三塁の大チャンスを逃すと直後の3回表に読売に1点を先制されてしまう。だが、その裏にオリックスは2死満塁のチャンスをつかむと4番・ニールが逆転の2点タイムリーツーベースを放つなど一挙5得点。一方の投手陣は4人の継投で読売に2点しか許さなかった。最後は今シリーズ4度目の登板となった鈴木平が日本シリーズ記録となる4セーブポイント(1勝3セーブ)を挙げ、5‐2で勝利。「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げて戦ってきたナインとファンの2年越しの夢がここに結実したのである。同時にそれは本拠地・グリーンスタジアム神戸での涙の日本一の胴上げが叶った瞬間でもあり、過去2回日本シリーズで敗退していた仰木監督は監督として“3度目の正直”で初の、さらに球団としても初(前身の阪急ブレーブスからだと19年ぶり4度目)の日本一が成し遂げられた瞬間でもあったのである。

(野球ウォッチャー・上杉純也)

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