教育(ひとづくり)こそ未来の希望!小林虎三郎が残した「米百俵の精神」とは (3/4ページ)

Japaaan

「今日の辛抱が、未来の希望に」

「……米は配給せず、売却した代金を教育機関の建設に充てる

虎三郎の発言を聞いて、長岡藩士たちは大激怒です。

「今日明日食うにさえ困窮している状況で、教育などと呑気なことを!」

「今すぐ米をお分け下され!」「そうだそうだ!」

それでも虎三郎は決して折れませんでした。

小林虎三郎(文政十一1828年~明治十1877年)、Wikipediaより。

この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」

※山本有三の戯曲「米百俵」より

そんな虎三郎の思いにみんな打たれたのか、それとも虎三郎が権力で押し切ったのかはともかく、米百俵の売却資金で「国漢学校(こっかんがっこう)」が創設されました。

国漢学校には国学・漢学に加えて洋学・兵学・医学の五局(学部)が設置され、士族(武士)だけでなく入学試験に合格すれば庶民でも学べる、先進的な教育機関として長岡藩の文明開化に貢献したのでした。

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