祈りから始まる天皇の一日。儀式と礼拝に彩られた平安時代の天皇の暮らしをのぞいてみよう (3/3ページ)

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ここは16世紀まで天皇が日々政務を執り行い、また生活の場でもあった個人的な空間でした。

起床はおよそ7時から9時。身なりを整えた後は毎朝、白い漆喰で塗られた「石灰壇(いしばいだん)」というところで火をたき、伊勢神宮の方角を拝み国家安泰を祈ります。

天皇の体は国家そのものと扱われており、穢れや痛みを忌み嫌うので、刃物は厳重に取り扱われていました。また病気の時も鍼など使わず、言霊信仰により血が出てしまったときなどは「汗」と言い替えられたりしていました。。

10時になると朝食。

その後昼御座(ひのおまし)という場所で政務を行います。正午の昼食は儀式の色合いが濃く、30皿近い日本中から集められた食材が並びます。特筆すべきは「目下一尺鯛」。食卓には寸法が一尺の鯛が必ず供されました。

夜は、夜御殿(よんのおとど)と呼ばれる寝室に入ります。そこでは部屋の中にさらに屏風で仕切られており、繧繝縁の畳を二層に重ねられており、初夜は必ずここで迎えることになっています。
それは後年になり生活の場を「御常御殿」に移してからも、変わりませんでした。

天皇が通る廊下は「御拝道廊下」と呼ばれ、臣下が通る廊下とは別になっており、畳には朱の縁が使われています。
風呂は20畳ほどもある板張りの「御湯殿(おゆどの)」で、おつきの女官に湯をかけさせ身を清めます。

清涼殿には堂上公卿(とうしょうくぎょう)と呼ばれる公家のみ昇殿を許されていました。女官もその公家出身の者だけだったと言います。

豊臣秀吉が建てさせた「御常御殿」

御常御殿(おつねごでん)は豊臣秀吉が清涼殿に換わる部屋として建てさせたもの。16世紀以降は、天皇はここに生活の場を移します。

臣下と謁見する場は上段の間といわれ、一段高くなっています。黄金に輝く襖絵は中国の故事が描かれており、床の間の襖絵は狩野永岳(1790~1867)が手がけました。さらにその後ろには、三種の神器の剣が納められた「剣爾の間」。天皇は剣を背に臣下と謁見することになります。もちろんこの部屋は滅多に開けられることはありませんでした。

京都御所は事前申し込み制で見学できます。もちろん昇殿は許されず、庭先から建物を眺めるだけですが、それでも右近の橘と左近の桜を目にしたときは、えもいわれぬ感慨がわき起こりました。

現在陛下がいらっしゃらなくても、その美しさに雅な気持ちに浸れますよ。

京都御所

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