全国の渡辺さん注目!今も残る「渡辺」という名字のルーツになった土地! (2/3ページ)

Japaaan

【参考:嵯峨源氏略系図】

源融(とおる)⇒昇(のぼる)⇒仕(つこう)⇒宛(あつる)⇒渡辺綱(つな)……(後略)

※諸説あります。

「渡辺」さんのルーツとなった「名地」は、今でいうとどこ?

さて、その源綱が住んだという摂津国渡辺村ですが、調べてみると、現代も「渡辺」の名を残していました。

「大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺

なんだ、この「渡辺」ってのは?と思いましたが、これは番地に当たるそうで、この久太郎町の番地は1~3番地に加えて「渡辺」という番地があります。

摂津名所図会「坐摩神社」寛政八1796年ごろ

本当は平成元1989年、東区と南区の合併によって中央区が生まれた(再編された)時、渡辺の地名が消滅する筈だったところ、地元に住む「渡辺さん(近所にある坐摩神社の宮司)」が行政などに訴えて、地名を番地として残してもらったのだそうです。

なので、ここに住む方へ郵便を出す時は、宛所に「大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺〇号」又は「〒541-0056 久太郎町4-渡辺-〇」などと書くことになります。

ちょっと手紙とか出してみたくなりますね。

まとめ

安達吟光『大日本史略図会』より「一条戻橋に渡邊綱夜鬼を斬る」明治十八1885年。茨木童子と闘う渡辺綱。

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