【小説】ひと夏の恋、永遠の恋。/恋愛部長 (6/16ページ)
でも、その口から滑り落ちるのは、耳になじむ数か月ぶりの日本語だ。
「すられた・・・・・・? まさか・・・・・・」
呆けたように和紗は言って、自分の服の内側に忍ばせたポシェットに手をのばす。大丈夫、そこに財布とクレジットカード、パスポートは入っている。
「だ、大丈夫です。貴重品はあります。バッグは・・・・・・油断してましたけど」
たしかに、パリの街なかではつねに警戒してバッグは抱えて放さないのに、ここでは田舎である安ど感からか、つい日本にいる時のように椅子の背に引っかけてしまった。貴重品を分けて、いつものように身体に身に着けていて正解だった。
男は、それを聞くとふん、と鼻を鳴らし、少し目つきを和らげた。
「それはよかったな。でも気をつけろよ。女1人で酔っ払ってボケッとしてると、危ないぞ。ここは日本じゃないんだから」
男は、そう言い捨てて、去って行こうとした。
呼び止めたのは、多分、数か月間の間飢えていた日本語に突然触れたから。久しぶりに、心から安心して語れる相手を見つけてしまったから。和紗は、自分がずいぶん孤独で弱っていたことに今さらのように気づいた。
「あの、・・・・・・すみません。日本の方ですよね。この辺にお住まいですか?よかったらいっしょに、1杯飲みませんか?」
男はじろりと、和紗を見る。
「あんたのおごりか?」
和紗は、あわててポシェットを引っ張り出す。
「はい! おごりで。1杯だけですが!」
男は、それを見てふわっと、氷が解けるように笑った。心の底からの笑顔というのは、まるでその人の中を覗き込んでしまうような錯覚を覚える。あ、・・・・・・と思った。
この感覚は、確かに覚えがある。
「いいよ。1杯奢ってもらおう」
男は目の前の椅子に座り、メニューをさっと見ると、店員に合図を送り、流ちょうなフランス語で白ワインを注文した。
「座れよ。いつまで突っ立ってるんだ?」
和紗は、痛いほど音を立てる自分の心臓の音を聞いていた。
そうだ、これは、きっと、恋だ。