エンバーミング~処置をしないという選択~ (2/2ページ)

心に残る家族葬

橋爪さんはエンバーマーとして、遺族が死と向き合うことをエンバーミングが妨げることにならないよう、この一件を忘れることはないと書いている。

■死後の腐敗に対する嫌悪がエンバーミング技術を進化させた

青森中央短期大学の清多英羽准教授は「死のポルノグラフィー化と教育」という論文の中で、死して腐るということへの嫌悪感がエンバーミングの技術を進化させた可能性にふれ、これは自然の一部としての人間の性質から目を反らし続けることだと指摘している。

■死と生が分断されている

また、現代社会では「死」の取り扱いが専門業者に託される分、死者と遺族の間に一定の距離が生まれることに言及し、自然な「死」の様子が遠くなりタブー化されることは、同時に死に向かって衰えゆく人、「死を帯びるもの」との関係性を人々が疎み避けることにつながると論述した。死を直視できないことは死にゆく人を孤立させ、自身や家族の死を目前にした人々の不安を増大させることでもあるのだ。

■エンバーマーの役割と選択

事故や災害の場面でもエンバーマーは活躍する。故人の尊厳を守り、愛する人の損傷した体にショックをうける遺族の心を安らげる為だ。また、遺体には様々な感染症を引き起こすウイルスや細菌が繁殖する。エンバーマーは遺族が遺体に触れて別れを惜しむことができるように、滅菌し防腐処理するのだ。 

橋爪さんは「エンバーミングは遺族の悲しみのケアするためのもの」だと強調する。だから、エンバーミングが遺族のその後の人生につながらないならば、それはエンバーマーの仕事をしたことにはならないと考えるのだ。その信念は、時にエンバーミングをしないほうがいいという選択を導き出すこともあるのだ。

■参考文献

2009年 橋爪謙一郎「エンバーマー」株式会社 祥伝社 
2014年 清田英羽 教育思想(42)17-32 

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