明治時代に持ち込まれた概念「Right」は権利?権理?福沢諭吉の「理」へのこだわり (2/3ページ)
権力は、道理のために行使するもの(イメージ)
まず社会のあるべき姿や追求するべきビジョンを考えた上で、その実現には社会の構成員たる個人の幸福が不可欠であるという「理」に基づいて保障されるRightは、やはり権理と訳すのが適切ではないでしょうか。
暴走する「権利」を懸念その一方で「権利」はどうでしょうか。
もちろん追求した「利」が天下公益に供することもなくはないでしょうが、その利は必ずしも理に適ったものとは限らず、往々にして私利私欲のために社会公益を損なってしまう事例は、古今東西枚挙に暇がありません。
いわゆる「モンスター〇〇」などまさにその悪例で、事あるごとに「権利」をはき違えて自分たちの利益ばかりを要求して、他人の迷惑などはお構いなし。みんながみんな際限なく私利私欲を追求したら、遠からず社会は破綻してしまいます。
私利私欲の追求(イメージ)
そういう概念はそもそもRightではなく、仮にあったとしてもそんな悪しき欲望を日本に採り入れたくなかったからこそ、福沢諭吉は権利の暴走を懸念し、異を唱え続けたのでしょう。