大切なのはお金より気持ち。お布施のキャッシュレス化・電子決済に京都仏教会が物申す! (2/3ページ)
しかし、筆者としてはそれ以上に信仰の本質が損なわれてしまうリスクの方を強く懸念します。
「気持ち(信仰)」がなければ意味がないと言うと、中には「お金は払っているんだから、現金だろうが電子マネーだろうが同じでしょ?」と思われる方もいるでしょうが、お寺さんに納めるお金というものはサービスの対価ではなく、あくまでも信仰にもとづく宗教行為の媒介物です。
平たく言うと、お金でもお供物でも、そのやりとりに心がこもっていなければ、いくら出そうが積み上げようが、何の意味もないのです。
大事なのは、金額じゃないんです。
その感覚がキャッシュレス決済のお手軽化によって薄れてしまうことを、心あるお坊様方は憂えておいでなのだと思います。
「お金を払っているんだから、どんな秘仏であろうが見せるべきだ」
「来てやっているんだから、インスタ映えのために境内のどんな場所でも立ち入る権利がある」
「カネを落としてやっているんだから、お客様としてもっと丁重に扱え。どんな要望でもありがたく受け入れて、もっとサービスを改善しろ」
……とまぁ、さすがにここまで高慢ちきな参詣者もそう居ないでしょうが、これらに準ずる手合いは、残念ながら散見されます。
※近ごろ(平成最後~令和最初)の御朱印ブームに伴う諸々のマナー問題も、こうしたところに端を発しているのではないでしょうか。