戦国時代の成り上がり!妻の機転で土佐一国の領主に。山内一豊と千代夫妻の心温まる物語
皆さんは「内助の功」という言葉をご存知ですか。
家庭において、夫の外部での働きを支える妻の功績の意味で使用されるこの言葉ですが、まさに戦国時代に活躍した女性、県性院(けんしょういん)こと山内千代(やまうちちよ)に当てはまる言葉だと思います。
今回は戦国時代を代表する良妻賢母、山内千代の夫想いな心温まるエピソードをご紹介します。
見性院像/Wikipediaより
寝返りの勧誘状に千代がとった行動とは…慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いが起こる2ヶ月前、徳川家康率いる東軍は上杉征伐に赴いていました。一方、西軍の石田三成は東軍の動きを抑制しようと東軍に味方する大名の妻子を人質に取っていました。
東軍の中には千代の夫である山内一豊(やまうちかずとよ)がいたので、千代は人質の身でした。そんな時に三成から千代宛に一豊を西軍に味方するよう促す勧誘状が届きます。
編笠:イメージ
そして、使者からの命令通り千代は一豊に勧誘状を届けます。この時、千代は一豊宛の手紙を2通書き、1通は勧誘状と共に文箱へ、もう1通は使者の編笠の緒の中に縒りこませました。
千代の想いに夫・一豊がとった行動とは…使者が一豊の元に着くと、一豊は編笠に緒の中にあった手紙を最初に読みます。
山内一豊像/Wikipediaより
手紙には「西軍から勧誘と思わしき書が届きましたので、お送りします。勧誘状は文箱の中にあるので、決して開封せずに家康様にお渡しください。」と書かれていたので、一豊は言いつけを守り家康に未開封の文箱を渡します。
一豊からの文箱を読み、家康は三成が軍事行動を起こそうとしていることや大坂城内の様子を知ることができました。
また、「上様(家康様)にはくれぐれもご忠義を尽くされますよう」という千代から一豊へ家康に忠義を尽くすよう促す内容の手紙もあったので、家康は大いに喜びました。
一豊の行動を家康はべた褒めしたその後、一豊は家康に尽くすよう努め、自らの居城掛川城を東軍の西進のために明け渡す機転を効かせたことも相まって、関ヶ原の戦い後には土佐一国を与えられることになります。
徳川家康像/Wikipediaより
また、家康からは「山内一豊の忠義は木の幹であり、他の諸将は枝葉のようなものだ」と評価され、一豊は千代のおかげで大出世を遂げたのでした。
最後に妻の力があって、ここまで出世を遂げた人物は山内一豊以外いないと思うので夫婦で力を合わせて戦国乱世を生き抜いたということが珍しく感じますね。
いつの時代も妻という縁の下の力持ちが夫を出世へ導くのだなと思いました。
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