鉄砲、怖い…。相模の獅子と呼ばれ恐れられていた北条氏康、実はめちゃ臆病者だった (2/2ページ)
しかし、鉄砲の放つ轟音によって伊豆千代丸は気を失ってしまいました。
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目が覚めた伊豆千代丸は家臣の前で醜態をさらしたことを憤り、自害しようとします。
その時、伊豆千代丸のお世話係だった清水吉正が「初めて見るものに驚くのは当然のことなので、恥ではありません。何事も事前の心構えが重要なのです。」と諭されます。
この言葉によって伊豆千代丸は常に心構えを持ち、堂々と振る舞うようになりました。
顔に刻んだ傷は誇りとなった程なくして伊豆千代丸は氏康と名を改めます。やがて氏綱から家督を継いで、後北条家の3代目当主となる頃には逞しい武将へと成長していました。
家督を継いだ氏康は今川義元、武田信玄、上杉謙信といった関東を代表する戦国武将たちと領土争いに明け暮れます。生涯を通して36回の戦では決して背を見せることなく戦ったそうです。
もちろん氏康の受けた傷は全て前面にあり、特に顔に受けた2ヵ所の傷は「氏康の向疵(むこうきず)」と称されるようになりました。
氏康の顔にある大きな傷/信長の野望公式Twitterより
臆病者こそ真の勇士なり!日本には「世に恐ろしいのは勇者ではなく、臆病者だ」という名言があります。これは徳川家康が残したもので言葉の通り、臆病者が一番恐ろしいことを家康は言っています。
臆病者ほど失敗しないように色々と考えるもので、元来臆病者だった氏康は戦に勝つために試行錯誤したことでしょう。
常に心構えを持って敵と対峙してきたからこそ、氏康は信玄や謙信たちの強豪ひしめく関東の地で盤石な地盤を築けたのだと思います。
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