方言は悪いことば?かつて鎌倉で行われた言葉狩り「ネ・サ・ヨ運動」の黒歴史を紹介 (3/6ページ)

Japaaan

この頃から、鎌倉の土着民と別荘民との確執(カルチャーギャップ)が生まれたようで、大東亜戦争末期(昭和十九1944~二十1945年ごろ)には度重なる空襲から逃れてきた疎開者が、帰る家が焼けたこともあってそのまま定住することも多かったそうです。

そして昭和三十年代に入ると「昭和の鎌倉攻め」とも称された大規模な宅地乱開発が強行され、土着民を包囲していくかのように山野が切り崩されて大量の移住者が流入。それまで明治~敗戦期とは比べものにならないほど言葉や文化の軋轢を生みだしました。

とりわけ古くから漁業が盛んな腰越(こしげぇ。こしごえ)地区は、多くの危険が伴う海上での漁労生活に根づいた短く早口で語調の強い言葉が色濃く、それを「野蛮」と忌み嫌った移住民たちによる方言「改善」運動が始まったのでした。

鎌倉のことばは「悪いことば」?

昭和三十三1958年の春、腰越小学校では全児童を対象とした話し言葉の調査を実施。土着の言葉を「悪いことば」、いわゆる標準語を「よいことば・正しいことば」として授業や学校生活の中で徹底的に指導しました。

更には「子供の言葉は両親や大人たちの影響を強く受ける」からと各家庭にテープレコーダーを持ち込んで「正しいことば」を繰り返し聞かせ、また家族の会話を録音させて、その中の「悪いことば」について学校から「改善指導」が行われたとも言われます。

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