美人と結婚したら蛇だった!日本神話に伝わる蛇姫との婚姻エピソードが示す歴史とは

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美人と結婚したら蛇だった!日本神話に伝わる蛇姫との婚姻エピソードが示す歴史とは

先日、憎しみから蛇に変身したストーカー少女の伝説を紹介しました。

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人が蛇に変身するなんて凄まじい感情があったのでしょうが、実は神話の世界でも似たような話があるのです。ただし、こちらは変身したのではなく、「正体が蛇だった」というエピソードになります。

言葉が話せなかった皇子

日本の神話を伝える古事記には、第11代天皇・垂仁(すいにん)の第一皇子・本牟都和気命(ほむつわけのみこと)のエピソードがあります。ちなみに本牟都和気命は古事記の名ですが、日本書紀では「誉津別命」です。(読みは同じ)

垂仁天皇(wikipediaより)

本牟都和気命は幼い頃より言葉を発しませんでした。垂仁天皇はかなり心配していましたが、ある日、夢の中で何者かから「天皇の宮と同じように私の宮を作れば、皇子は話せるようになるだろう」と告げらます。

そこで、夢にあらわれた者の正体を占ったところ、出雲大神であることが分かりました。皇子が話せなかったのは、出雲大神の祟りだったのです。

天皇は早速、皇子を出雲へ向かわせます。そして出雲で参拝が済んだあとの皇子が、肥河(ひのかわ)で出雲の人に言葉をかけたことでお供の者が驚くのです。

皇子が話せるようになったことに喜び、天皇は出雲に立派な宮を建てました。垂仁天皇のころに、出雲大社が造営されたと日本書紀にも記載されています。

美人と結婚したはずが蛇だった

さて、出雲での参拝が終わったあとの皇子は、肥河で肥長比売(ひながひめ)と婚姻することになります。しかし肥長比売を覗き込むと、なんと蛇だったことが発覚。これには皇子もびっくりして逃げ出します。

爾其御子、一宿婚肥長比賣。故、竊伺其美人者、蛇也、卽見畏遁逃。爾其肥長比賣患、光海原、自船追來。故、益見畏以自山多和此二字以音引越御船、逃上行也。
引用元:古事記

船に乗って逃げ出した皇子を、光で照らしながら追いかけるという文面があることからも、肥長比売がかなり執着してたことが分かります。初対面の皇子に惚れてしまったのか、それとも逃げられたことでプライドが傷ついたのか。どちらにせよ逃げられたことに怒りを覚えたのでしょう。

最終的に皇子は逃げ切ることができたのですが、かなりトラウマものですね。ただ「美人」という言葉があることからも、見た目は人間だったはず。ということは、交わろうとしたら蛇だったのでしょう。……皇子のショックは計り知れません。

大和と出雲との関わり

本牟都和気命と肥長比売の話は、古事記に短い文面があるのみです。どういった意図でこの話が差し込まれたのかは分かりませんが、名前の共通点からも、肥長比売は肥河の化身だったのではないでしょうか。

つまり、肥長比売は「水神」だと考えられます。蛇や龍は水神の象徴ですからね。そして出雲大社には「蛇は神の使い」という信仰があることも、興味深いと言えるでしょう。

このエピソードでは、大和朝廷の血筋である天皇家が、出雲大神から祟りをかけられた挙句に宮を作ることになっています。ここで気になるのは、大和朝廷が古代に栄えたとされる出雲朝廷を闇に葬ったという説があることです。

さすがに無関係の皇子に祟りをかけたりはしないでしょうから、このエピソードは大和と出雲との間に深い関わりがあることを示しているのではないでしょうか。

出雲大社(wikipediaより)

本牟都和気命が言葉を話せなかったことも、蛇姫との婚姻も、出雲の「何か」が作用したとは考えられないでしょうか。そしてこのエピソードを古事記に入れることで、歴史に出雲の存在を知らせようとしたのかもしれません。

参考サイト:古事記、全文検索

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