天才テリー伊藤対談「船山基紀」(3)阿久悠先生の原稿はカッコよかった (2/2ページ)
テリー ええっ、そんな貴重なものを!? 「勝手」はその年の日本レコード大賞も獲ったんですから、それだけでも取っておけばよかったのに‥‥。
船山 当時の僕って、本当に学生気分の抜けないチャラチャラしたヤツだったんですよ。当時、自分にとっての音楽といえばFENのトップ30とかで、日本の歌謡界、日本レコード大賞や日本歌謡大賞みたいなものをまったく知らなくて、それで大恥をかいちゃった。
テリー ええっ、何があったんですか?
船山 レコード大賞の前に「輝け!日本歌謡大賞」の放送があったんですが、その時、自分が何のために呼ばれたのかよくわかっていなくて、セーターとジーパン姿で会場に行っちゃったんですよ。で、いざ到着してみると、皆さん、スーツ姿で並んでいて。
テリー そりゃそうですよね(笑)、授賞式も兼ねているんですから。
船山 それがものすごく恥ずかしくて、控え室でずっと下を向いて、縮こまって座っていたんです。僕から少し離れて大野先生と阿久先生が座っていらして、「勝手」の大賞受賞が発表された瞬間に、阿久先生が「おい、(ステージに)行くぞ」って、僕にだけ声をかけてくれたんですよ。きっと「あいつは勝手もわからず来ちゃっているんだ、かわいそうに」と思われたんでしょうね。そのひと言が涙が出るほどうれしかったです。
テリー 編曲の仕事を始められたのが74年。わずか3年でレコード大賞を獲っちゃうなんて、あらためて考えてもすごいことですよ。
船山 ええ、やっぱり『運』ってあるものですね。大変でしたが、貴重な時間を過ごせたと思います。