長嶋茂雄×王貞治「魂が震える名勝負」10大秘話 (2/3ページ)

日刊大衆

「王は、いつになったら打てるようになるんだ!」

 これにブチ切れたのが、打撃コーチとして、オフから王のフォーム改造に取り組んでいた荒川博だった。

「まだ道半ばなんだ。ホームランを打たせるだけなら、簡単ですけどね!」荒川がこう啖呵を切ると、別所コーチは「おお、上等だ。だったら、今日から打たせろ!」

 荒川は血相を変えて部屋を飛び出し、王を室内ブルペンに呼び出したという。

「王は荒川さんから、“今日から右足を上げるアレでいけ。成功するかは分からんが、やってみろ”と言われたとか」(前出の関係者)

 当時は右足を、それほど上げないスタイルだったが、結果はすぐに表れた。「先発の稲川誠から、1打席目に一・二塁間を破るヒットを打つと、2打席目は内角低目の直球をライナーで右翼スタンドに運ぶホームラン。3打席目もタイムリーを放ち、猛打賞を記録したんです。一本足打法誕生の瞬間でした」(前同)

■王の【4打席連続ホームラン】

 王はこれを機に、ホームランを量産していくが、圧巻なのが、【4打席連続ホームラン】だろう。

 65年5月3日、阪神を後楽園球場に迎えての一戦。

「この日の王は、第1打席で右翼に場外ホームランを放ち、勢いに乗りました。続く第2、第3打席もホームラン。観客が固唾を飲んで見守る第4打席は7回、二死二塁で回ってきました」(記者OB)

 王は阪神の中継ぎ・本間勝の4球目の外角ストレートを強振。打球は右中間スタンド最上段に消えた。「翌日の試合、広島は王が打席に入ると、極端にライト寄りに守る“王シフト”を披露。以来、他球団もマネし始めたんです」(前同)

 “記録の王、記憶の長嶋”と言われることがあるが、長嶋が、「プロ野球人として、あれ以上に感激したことはない」と振り返るのが、ご存じ【天覧試合】である。

 1959年6月25日、巨人-阪神の11回戦は、日本プロ野球にとって初の天皇、皇后を迎えての天覧試合だった。異様な緊張感で始まった伝統の一戦は、8回まで4対4の好ゲーム。そして迎えた9回裏。

「トップバッターは長嶋でした。

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