萩原健一、薬物逮捕後の「老婆と傘」で奮起…2019年逝去スター「あの一言」感涙プレイバック

日刊大衆

写真はイメージです
写真はイメージです

 2019年に、逝去した多くの有名人たち。彼らが過去、週刊大衆誌上で語った素晴らしき言葉がいま蘇る!

「もし、ぶつけられたら、相手がゴメンというまで、ぶつけ返す! ロッテのケンカ野球、みんな見に来てや」 血気盛んなプロ野球ファンにはたまらない金言を、本誌に熱く語ってくれたのは、10月6日に逝去した金田正一さん(享年86)だ。この発言は、本誌の1990年2月26日号に掲載されており、「当時、金田監督は57歳。ロッテの監督に就任された直後で、金田キャラを全開にしてパリーグを盛り上げようとしていました」(ベテランのスポーツ記者)

 茶目っ気と気骨を備えた“昭和の男”として、日本を元気にしたカネヤン。今回は、2019年に逝去したスターたちが本誌に語った名言や金言を、いま一度「感涙」プレイバック。スターたちの輝かしい軌跡を振り返ってみた。

 昭和のスターといえば、“ショーケン”こと萩原健一さんを忘れてはいけない。3月26日に10万人に1人ともいわれるGIST(消化管間質腫瘍)のため亡くなった。享年68。「驚きました。本人の強い意思で病気だったことは伏せられていたんです。亡くなる2日前もジムで運動をされており、最後まで諦めずに闘っていたんですね」(ベテラン芸能記者)

 4度の逮捕に3度の離婚と“波乱万丈”の人生を送ってきた萩原さん。83年に薬物で逮捕された直後、仕事も失って、ポケットには電話代の10円もない無一文。事情聴取の後、東京駅から代々木の自宅まで歩いて帰っていたという。「大雨の日に一人トボトボ歩いていると、赤坂あたりで一人の老婆が声をかけてきたんです。“萩原さん?”と聞かれたものの、ショーケンは“違います”と答えたそうです。すると、老婆は萩原のファンであることを語った後、“お兄さん、傘がないのならコレ貸してあげる”と、自分の傘を差し出してくれたというんです」(前同)

 このときのエピソードを、のちにショーケンは本誌(96年5月20日号)で、「あの傘一本が……“ようし、もう一度頑張るぞ”という気持ちにさせた」と明かしてくれたのだ。

 本誌にはお父サン読者も多いとあって、独自の“子育て論”を語ってくれたスターも少なくない。6月26日、老衰で大往生したのは俳優の高島忠夫さん(享年88)。91年10月7日号の本誌で、政宏、政伸の2人の息子に対して、「女の子とは大いに遊べ、ただし子どもだけは作るな」と男らしいアドバイス!

 “覆面レスラー”として力道山ジャイアント馬場と数々の死闘を繰り広げたザ・デストロイヤーさんも、3月7日に逝去。享年88だった。75年3月20日号には、5ページに及ぶロングインタビューが掲載されており、子育てに関しての質問には、「他人の悪口や嘘をついたときには厳しく叱るが、殴ったりはしない。なぜいけないのかを頭で考えさせる」

 ビシッと父親らしい一面を覗かせた。そんな家族思いのデストロイヤーさんに“浮気経験は?”と質問をしたところ、「結婚後は奥さん以外の女に興味ないね。浮気は結婚前に済ませておいたから」

 くぅ~、こんな言葉を堂々と口にしたいものだ。

■樹木希林の夫、内田裕也は肺炎で逝去

 結婚といえば、樹木希林さんの夫である内田裕也さんは、妻の死から半年後の3月17日、肺炎で逝去。享年79。73年10月11日号には、内田&樹木夫妻の対談が掲載されていた。樹木さんが「体力の続く限り、子どもを作りたい」と言えば、内田さんは、「結婚指輪は作りました。ひとつ1万5000円の安いやつだけど、まだ受け取りにいくカネがないんですよ」と内田節を炸裂。夫婦仲の良さが誌面からもあふれていた。

 2019年は美しき名女優たちが、この世から去った一年でもあった。その一人が『羅生門』や『雨月物語』など数々の名作映画に出演した女優・京マチ子さんだ。5月12日、95歳で死去した。65年4月1日号では、インタビューに応じている。結婚したら“かかあ天下”になる?「(ニッコリ笑って)時にはね」

 忍術が使えたら?「(ウフフッと笑い出して)お芝居の評判が悪かったら、恥ずかしいからドロンと雲隠れしちゃう」と、愛くるしい一面を見せてくれていた。

 10月24日には、“生涯女優”を貫いた八千草薫さんが、すい臓がんで逝去。享年88。八千草さんの記事が残っていたのは、なんと、58年8月11日号。かれこれ60年以上も前だ。当時の八千草さんは結婚したばかりで、女優としては“娘役”から“大人の女役”に転換しようとしていた時期だ。「この間、まげもの(時代劇)の汚れ役の“夜鷹”で出されちゃったんです。私の今後の演劇人生、どうなっちゃうのかしら」

 清純派から一転、そんな自分を笑いながら語っているところに、八千草さんの明るさがかいま見られるのだ。

 本誌で連載をしていた大御所たちも亡くなった。作家の安部譲二さんは9月2日、急性肺炎で逝去。享年82。本誌で毎週、政治やスポーツ、芸能界に対する怒りをぶちまけてくれていた安部さんは、非常にモテた。87年3月2日号では、愛染恭子さんとの対談で、ロマンチストな一面を見せた。

 その一方、91年の年末年始の合併号で、美川憲一さんと対談した際は、男の本音をいつも代弁して、読者に元気を与えてくれた。

 本誌連載で、いつも笑わせてくれたケーシー高峰さんも4月8日、肺気腫で死去。享年85。酒飲みでもあったケーシーさんは連載の中で、「二日酔いを治すのは簡単。三日待てばよい」と目からウロコ(!?)の金言を与えてくれたり、「僕ね、おかげさまで今年80歳になるけれど、白髪が一本もないし、虫歯もありません。これにはちゃんと医学的な理由があって、黒髪なのは白髪染めで染めているからで、虫歯がないのは総入れ歯だからなんだね。グラッチェ!」

 何事も笑いに変えてしまう。“ケーシー魂”を我々も引き継いでいきたい。

■元横綱でプロレスラーとしても活躍した北尾光司

 本誌にたびたびゲスト出演してくれたスターといえば、元横綱で、のちにプロレスラーとしても大活躍した北尾光司さんだ。「まだ55歳という若さながら、2月10日に慢性腎不全で亡くなったんです。トラブルが多く“稀代のヒールキャラ”と評されましたが、実際の本人は温厚でシャイな方でした」(前出・スポーツ紙記者)

 本誌では96年4月22日号に女優の東てる美さんと対談。ダイエットに関する話になって、東さんが大胆な質問したところ、「……ハッハハ、それはどうかな」と、しきりに照れる北尾さん。その一方で、格闘技に関しては、「雄と雄との真剣な戦い(中略)武闘家は負けることを怖がらないんです。勝ち負けは結果ですから」と力強く語るなど、北尾さんらしさが見られた。

 金メダリストの有森裕子や高橋尚子の生みの親でもある小出義雄監督は、4月28日に肺炎で死去した。享年80。「小出監督のエピソードで一番印象深いのは、高橋をベルリンマラソンの後、シカゴマラソンを走らせる“2週連続マラソン計画”をぶち上げた際、陸連は“無謀だ”と大反対したんです」(スポーツ紙デスク)

 この際、小出監督は本誌の取材に、「常識通りにやっていたら、世界記録なんて出ないよ!」と顔を真っ赤にして、陸連への怒りをあらわに。常に世界の頂点を目指す男の姿が、ここにあった。

 元プロ野球選手で、野球解説者としても人気だった近藤昭仁さんは3月27日、敗血症性ショックのため、死去した。巨人の作戦コーチに抜擢された83年の11月13日号で、近藤さんは、「キャッチボールの基本から、やり直し。とにかく“雑な巨人野球”を一掃したい」と当時“ぬるま湯”体質に陥っていた巨人軍に喝を入れる、愛ある発言を、本誌にしてくれた。

 関西弁で、日本の経済を分かりやすく説明してくれていた経済評論家の竹村健一さんは、82年2月1日号で、本誌に登場。経済の話をしつつ、人生論も熱く語ってくれた。「いや、僕もいろいろしくじってきてます(笑)。事業が全部儲かるんやったら、日本中は金持ちばっかり。世界中金持ちばっかりになる。恋愛と同じでね、失恋したり冷たくされたりするから、おもしろい。“好き”というたら向こうにすぐ“好き”いうてこられたら、ちっともおもしろくない」

 事業と恋愛も同じ。うまくいかないことを楽しむことが人生だと教えてくれた。

■『ルパン三世』の作者、モンキー・パンチは何事も諦めない大切さを

ルパン三世』の作者でもある漫画家のモンキー・パンチさんは、4月11日に肺炎で死去。享年81。モンキー・パンチさんは、昨年2018年の6月4日号での『人間力』に登場してもらったばかりだった。「僕の場合、夢は1本だけ。それを外したら何も残らないと分かっていました。ひたすら、大衆にウケる漫画をどうしたら描けるかってことだけを考えていましたね。結局、続けるか続けないかだと思うんですよ。どんなに頭悪くても10年間続けていたら、モノになりますよ」

 何事も諦めない大切さを、訥々と語ってくれていた。

『子連れ狼』の生みの親で知られる漫画原作者の小池一夫さんも、かつて『人間力』(12年1月30日号)に登場。「主人公には必ず弱点を作る。『子連れ狼』の大五郎、3歳の子どもが足元にくっついていたら、斬り合いで弱点になる。世界中が“危ない、危ない”って。弱点があると、無敵の奴がここまで弱くなる。だから連載が終わらないんです(笑)」と、我々を熱くさせた名作の秘話まで暴露。そんな小池さんは4月17日に肺炎のため死去。享年82。

 最後に9月24日、68歳で死去した予備校教師で、タレントとしても活躍した“金ピカ先生”こと佐藤忠志さんの名言を紹介しよう。93年8月2日号で、美川憲一さんと対談した際、奥さんとの結婚秘話を明かしてくれた。まだ出会って二度目の女性に「俺の女になれ」と迫ったという佐藤さん。「“今日で二度目なのに私のこと分からないでしょ?”というから、“そんなものが分からないようじゃ、500人も相手に授業できない”って(笑)。やっぱりね、それぐらい積極的にならなければ本気になってくれない。今の男性というのは、そういったバーッと突っ走るパワーがないんですよね」

 今年は本当に数多くのスターたちがこの世を去った。ご冥福を祈りつつ、我々はこれらの名言・金言を胸に、新しい一年を迎えたい。

「萩原健一、薬物逮捕後の「老婆と傘」で奮起…2019年逝去スター「あの一言」感涙プレイバック」のページです。デイリーニュースオンラインは、漫画(マンガ)樹木希林萩原健一ジャイアント馬場内田裕也エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る