本当にみんな平等だったの?縄文時代が決してユートピアではなかったシンプルな理由 (2/3ページ)

Japaaan

しかし、狩猟に参加した者すべてが同じだけの働きをしたとは考えにくく、危険を顧みず勇敢に挑みかかった者がいる一方で、元より技量や胆力に欠け、後方で震えていた者だっていた筈です。

力を合わせて獲物をしとめる縄文人

当然、働きの大きな者ほど肉の分け前が多かったり、美味しい部位を貰えたりなど厚遇されたでしょうし、その積み重ねによって信用を築き上げ、コミュニティの中で存在感を発揮した(そして多分、女性にもモテた)事でしょう。

そうした能力の差が身分制度にまで発展した形跡がないのは、仮に特権階級を設けたところで、そこに安座できるほど社会的な(人員・物資の)余裕、つまり身分制度を設ける意味がなかったと言えます。

縄文時代に身分制度がなかった(ように見える)のは、優秀な者ほど現場の最前線でリーダーシップをとらないとコミュニティが存続できない厳しい環境だったためと考えられます。

終わりに

稲作が伝わった弥生時代以降、食糧事情が大きく改善され、その結果として生まれた社会的な余裕と共に身分格差がハッキリしていったことは確かです。

しかし、だからと言って狩猟採集によって食糧を得ていた縄文時代が「みんな平等なユートピア」だった訳ではなく、むしろみんなが力を合わせなければ生きていけない厳しい環境だからこそ、食糧をめぐるシビアな生存競争が繰り広げられた事でしょう。

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