最古の日の丸!本物の風林火山!甲府の武田信玄ゆかりの地をめぐったら凄いものばかりだった (2/3ページ)

Japaaan

「心頭滅却すれば…」で知られる、信長が焼き討ちにした実在の僧とは

同じく山梨県の塩山には、武田信玄の菩提寺である恵林寺があります。前述した雲峰寺と同じく禅宗である臨済宗の寺で、質実剛健な印象を受ける寺です。

ここは織田信長が焼き討ちした寺の一つで、快川国師という人物が燃えさかる山門に立てこもり「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と言い残したという逸話の舞台になった場所です。

「武田上杉川中嶋大合戦の図」勇斎国芳:国立国会図書館蔵

快川国師は美濃(現岐阜県)出身の僧で、崇福寺という寺で修行を重ね、若い頃から秀才として知られていました。信玄に請われて恵林寺住職になるも一度崇福寺へ戻りますが、永禄七年(1564年)に再び信玄が恵林寺の住職にと請うほどの人物でした。二人の親交は深く、国師は精神的な支柱として信玄を支えたようです。

信玄は生前から恵林寺を廟所と定めており、天正4年(1576年)に亡くなったのち、国司が葬儀を執り行う大導師を務めています。国師は信玄亡きあと武田勝頼の師としても武田家を支えますが、それも空しく天正10年(1582年)、甲斐武田家が滅亡。

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