江戸時代、インフルエンザの流行に対して「久松留守」と貼り紙をする予防法があった!? (2/3ページ)
そこから、1889(明治22)~1891(明治24)年に流行ったインフルエンザが「お染風邪」と呼ばれるようになり、「お染さんが愛した久松さんは、この家にはいませんよ!だから家に入ってこないでくださいね!」ということで、このおまじないが誕生しました。
当時の日本では現在のように「風邪をひいたから病院へ」というわけにはいきませんでした。もちろん、有効な治療薬があったわけでもありません。だからインフルエンザの大流行は、命にかかわる大問題だったにもかかわらず、どうすることもできなかったのです。
庶民がシャレのような「おまじない」にでもすがりたくなった気持ちが、なんだかわかるような気がします。
江戸時代、インフルエンザはその時流行っていたものの名前で呼ばれた実は江戸時代にインフルエンザやたちの悪い風邪が流行すると、その時に流行していたものや有名人の名前をつけて呼ぶ習慣がありました。
今回ご紹介した「お染風邪」のほかにも、江戸の大火を引き起こし死刑になり、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられて有名になった「八百屋お七」の名前をつけた「お七風邪」と呼ばれたインフルエンザもありました。