もしも織田信長の嫡男・信忠が落ち延びていたら?織田家の天下統一が実現していた可能性はいかほど (2/2ページ)

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織田信忠蔵 (総見寺蔵)

さて、もしここで信忠が二条御所に入らず、京都から落ち延びていたらどうだったでしょう。

その後の展開が示すように、光秀に与するものはほとんどおらず、一方信忠は信長の嫡男であったため、態勢を整え、家中の武将たちを率いて復讐にのぞめば、十分光秀を滅ぼすことができたのではないでしょうか。

その場合、史実では信長の後継者の座にいた秀吉が力を持つこともなく、織田家による天下統一が実現していた可能性が高くなります。

もちろん、これは今となってからのお話。結末を知っている現代人の我々が、当時を生きた人々の決断を評価することはフェアではありませんし、立場が違います。

いずれにせよ、史実は織田信長が自刃し、その権力の座は、光秀、豊臣秀吉へと引き継がれてゆくのです。

参考

斎藤 忠『天正10年の史料だけが証す本能寺の変の真実 』(2019 実業之日本社) 藤田 達生『本能寺の変』(2019 講談社学術文庫)

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