一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【一】 (5/5ページ)

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時は前後しますが、嘉永六1853年6月3日にアメリカ海軍の提督ペルリが浦賀に来航した際は江戸警護のために出兵しており、当時25歳だった経幹もまた、たった四杯(隻)の上喜撰(じょうきせん=蒸気船)に夜も眠れぬほど興奮し、列強と渡り合える人材育成に改めて要を痛感した事でしょう。

文字通り毛利藩の柱石として岩国を治め、各地を奔走していた経幹にも、間もなく幕末維新の嵐が迫り来るのでした。

【続く】

※参考文献:
児玉幸多・北島正元 監修『藩史総覧』新人物往来社、1977年
中嶋繁雄『大名の日本地図』文春新書、2003年
大山柏『戊辰戦役史 上下』時事通信社、1968年
笠谷和比古『関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』講談社学術文庫、1994年

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