空前の「MANZAIブーム」40年感謝祭!(1)<島田洋七(B&B)>デパートの紙袋で持ち歩いた全盛期のギャラ (2/2ページ)
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──さらにテレビ・ラジオのレギュラーですね。週に19本というのは、信じられない数字。
洋七 昼の「笑ってる場合ですよ!」(フジ系)のように、月~金の帯レギュラーが、昼と夕方と夜と3つ。さすがにどこにも行かれへんようになるから、夜のラジオは週2~3回にしてもろうたよ。
──ネタも自身で考えるから時間が足りないですね。
洋七 最初は本ネタに構成作家がいたけど、使えるとこは4分の1くらい。給料が5万円の時にネタ代を2万円も払って、それはアホらしいから自分たちで作ったよ。
──残念ながらブームは2年ほどで収束しました。
洋七 ブームを作ってたのって12組くらい。それでいて各局に番組はできるし、新ネタも追いつかない。飽きられるのもしかたなかったね。ただ、それまで「歌手」よりもうんと地位が低かった「漫才師」が、今ではテレビの司会なんかもほとんどやってる。それだけ向上させたって自負はあるよ。
──がばい歴史の立て役者です!