ベルリンの壁崩壊へと繋がった革命的な市民運動の原点 / ドイツ・ライプツィヒの「聖ニコライ教会」 (4/5ページ)

GOTRIP!

この驚きの記者会見がテレビやメディアで大々的に報道された結果、ベルリン市民はいつでも出国ができると勘違いし、同日夜には東ベルリン市民が東西ベルリン間の7カ所の国境検問所に殺到、対応に困った国境検問所の国境警備隊の現場指揮官は、政府からの指示もないなか、追い立てられるようにして東ドイツ側の国境ゲートを開放してしまいます。

雪崩のように多くの人々が東ドイツから西ドイツへと出国し、人々の大きなうねりは歓喜とともに、これまで堅牢で強大な物理的な障壁となっていたベルリンの壁を精神的に超え、実質的にこの瞬間、人々の心の中からベルリンの壁が消失します。

そして翌日、11月10日、どこからともなく現れたショベルカーなどの重機によって物理的にベルリンの壁は破壊され東西両ドイツの国境は事実上なくなり、翌年の1990年10月3日、長きにわたって分断されてきた東西ドイツ、ドイツ連邦共和国として再統一されました。

そしてベルリンの壁を崩壊させた活動が始まったここドイツ・ライプツィヒの「聖ニコライ教会」の内部には、様々な当時の様子が人々の奮闘の歴史とともに展示され、残されています。

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