徳川家康は未亡人がお好き!?あの春日局とも深い仲だったという珍説まで

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徳川家康は未亡人がお好き!?あの春日局とも深い仲だったという珍説まで

徳川幕府を開き、戦国時代を終わらせた徳川家康。天下人として圧倒的な知名度を誇る家康には、後家好きという一面がありました。

最初の側室は正室の侍女だった

家康が最初の結婚をしたのは、16歳のころ。相手は今川義元(いまがわ よしもと)の姪とされている築山殿(つきやまどの)です。

家康よりも8歳は年上だったといわれる築山殿は、後世では悪女との呼び名があります。当時、家康は今川家の人質だったことから、年下の夫を見下していたとも傲慢に接していたともいわれています。

徳川家康(wikipediaより)

そして、家康が最初に側室にしたのは、この築山殿の侍女でした。なので、それなりにゴタゴタしたのではないかなと想像できますね。

名前を小督局(こごうのつぼね)といい、出戻りで築山殿に仕えていた27歳のころ家康の側室になっています。

この側室はかなり奔放だったみたいで、家康も彼女には苦労させられたそうです。そのため、小督局以降の側室は大人しい女性に惹かれるようになったとも。

後家ばかりの家康の側室

家康が最も寵愛した西郷局(さいごうのつぼね)は、3男・秀忠、4男・忠吉の生母です。彼女が家康の側室になったのは17歳のころでしたが、このときすでに未亡人。

西郷局肖像(wikipediaより)

5男・信吉の生母である下山殿は、武田の姫の身代わりとして家康に差し出された気の毒な女性です。夫と離縁させられて家康の側室になった下山殿は、かなり美しかったといわれています。

6男・忠輝と7男・松千代の生母は、茶阿局(ちゃあのつぼね)です。理不尽に殺された夫の敵を討ってもらおうと、鷹狩りをしていた家康に直談判するほど行動的な女性。そして美人ということで、家康に目を付けられます。家康が亡くなったとき、唯一 死に水を取った側室とのこと。

春日局とも深い仲だった?

さて、後家好きの家康ですが、大奥を取り仕切っていた春日局ともなにやらあやしい噂があったとかなかったとか。

春日局といえば、3代将軍・家光の乳母として絶大な権力を手にしています。そのため、乳母でありながらそこまで力を持っていたのは、家康と深い仲であり、家光の生母だったからではないかという珍説もあるのです。

春日局(wikipediaより)

実際、紅葉山文庫の蔵書「松のさかへ」には、「竹千代君(家光の幼名) 御腹 春日局」との記述があるとか。

家光の後継者問題が起こったとき、春日局は乳母の身分でありながら家康に直訴しています。この事実からも、家康と近い存在だったため直接訴えられたのでは、という見方もあるのです。

後家好きの家康としては、春日局は好みだったのかもしれませんね。

参考書籍

面白すぎる徳川将軍の性癖 早わかり日本史

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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