元祖かかあ天下!飛鳥時代、絶体絶命の窮地を切り抜けた豪族の妻【上】
人間、窮地に陥ると往々にして本性が出るもので、好調な時はいいのですが、ひとたび調子が悪くなると、たちまちグダグダになってしまいがちです(恥ずかしながら、筆者もその一人です)。
その一方で、どんな逆境においても決して諦めずに闘い抜き、成功を勝ち取る英雄も少なからずいるもので、今回は飛鳥時代の豪族・上毛野形名(かみつけぬの かたな)の妻を紹介したいと思います。
蝦夷討伐に出るも返り討ち、完全包囲の窮地に上毛野一族は第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を祖先にもち、その中には神功皇后(じんぐうこうごう)に従って日本海を渡り、新羅(しらぎ。朝鮮半島の古代王朝)征伐に武勇を顕した大荒田別命(おおあらだわけのみこと)らを輩出しています。
やがて子孫が上毛野の地(現:群馬県)に土着したことから名地(みょうじ。名字)を称するようになり、代々武勲の家柄に形名は生まれました。
さて、時は第34代・舒明(じょめい)天皇九637年。東国で蝦夷(えみし)が朝廷への服属を拒否。叛乱を起こしたので、形名は将軍を拝命して討伐に向かいます。
「帝に順(まつろ)わぬ不届き者どもめ……見ておれ、この形名が懲らしめてくれるわ!」
出陣前に英気を養う形名とお酌する妻。「あなた、どうぞご無事で」「なぁに、案ずるでない」
意気揚々と出陣した形名でしたが、結果は惨敗。戦闘に関する詳細が記録されていないため、どのくらいの軍勢がぶつかったのかは不明です。しかし形名の率いる朝廷軍は帝の威信を示す目的上、寡兵であったとは考えにくいでしょう。
恐らく大軍を率いていたものの、蝦夷軍はそれ以上の大軍だったのか、あるいは少数精鋭で鮮やかな戦術を繰り出しての逆転勝利だった(それを恥じた朝廷軍は詳細な記録を残さなかった?)のかも知れません。
ともあれ敗れた形名たちは這々(ほうほう)の体で逃げ帰って籠城しますが、追撃してきた蝦夷軍によって完全包囲されてしまいます。
「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」
味方の兵士たちは次々と逃げ出してしまい、城内にはもうほとんど残っていません。最早これまで……夜陰に乗じて自分も逃げ出そうとした形名の腕を、背後から何者かが掴みました。
勝負はこれから……酔っぱらった妻に叱咤される「何奴……っ!?」
形名の腕を掴んだのは、彼の妻でした。どういう訳か、酒甕を抱えてベロベロに酔っ払っています。
「なにやつぅ?……あんた、長年連れ添った伴侶を忘れたってぇのかい?……ヒック」
安堵した形名は、怒りと狼狽で妻を詰(なじ)りました。
「お前、この非常事態に何を悠長な……!」
対する妻はいっかな動じず、悠然と酒甕を呷(あお)ります。
「だからじゃないのよ……これから夜陰に乗じて敵に斬り込むんでしょ?身体をあっためておかないとでしょ?……ウィ~」
「ふぅ……呑んだ呑んだ」完全武装で、やる気満々の妻(イメージ)。
どう見ても頭の中まであったまり過ぎているような気がしますが、とにかく逃げ出そうとする形名の襟首をむんずと掴んで放してくれません。
「それよりあんたねぇ……いったいどこへ逃げようってのよ?」
据わった酔眼をギロリと向けて、妻は形名を問いただしました。
「よしんばここで蝦夷の囲みから逃げ出せたところで、そっから先はどうするの?ネズミのようにコソコソと、ずっと何かを恐れて逃げ回る人生が待っているだけじゃない」
違う?と熟柿の吐息を吹きかけて、妻は熱弁を続けます。
「あのね……あなたの、そして私たち上毛野一族の祖先は、かつて青く広がる大海原を渡り、万里の山野を踏破して、武威を轟かせたと言うのに……今ここであなたが逃げれば、彼らの名誉が水泡に帰するのよ?」
「そりゃそうだが、俺は……」
「あなたが彼らと違うのは当然だけど、あなたにも彼らと同じ、英雄の血が流れているの……いい?戦さってェのは数だけじゃないわ。何より大事なのは気合と呼吸、そして天運……勝負はこれからじゃないの」
口先だけなら勇ましいことも言えるけど……形名は妻に訊ねます。
「仮にも歴戦の勇士に知った口を利くようだが、勝算もなく兵を死地に駆り立てるは一軍の将にあるまじき軽挙……策はあるのか?」
不敵に笑って、妻は頷きました。一体どんな秘策を用意しているのでしょうか。
【続く】
※参考文献:
宇治谷孟『全現代語訳 日本書紀(下)』講談社学術文庫、1988年8月
田中良之『古墳時代親族構造の研究』柏書房、1995年5月
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