「嵐を続けるつもりだったのは2人だけ」二宮和也の爆弾発言と嵐LOVE

日刊大衆

嵐

 9月30日放送の『TOKIOカケル』(フジテレビ系)に、二宮和也(37)が出演。二宮が嵐の歴史を「ジャニーズ年表徹底整理・嵐編」と題して紹介したり、「休止まで残り3ヵ月、その先について」を二宮とTOKIOが掘り下げた。

「今年12月末で活動休止となる嵐。17年ごろから、大野智(39)が“自由な生活がしてみたい”と切り出したのがきっかけとされていますが、今回の『TOKIOカケル』で、そもそも嵐が誕生した99年の時点で、松本潤(37)と相葉雅紀(37)以外はやる気がなかった、という衝撃的な事実が明らかになりました」(女性誌記者)

 そもそも、二宮は自主的にジャニーズに入所したのではない。13歳のころ、「従姉が(森田)剛君のファンで、剛君とお友達になってほしいって言われて」と従姉が履歴書を送り、オーディションが所属していた野球チームの大会とかぶるという理由で欠席しようとしたら、母親に「5000円あげるから」と言われたから、オーディションを受けた、とカミングアウト。

 しかも、「オーディションに行った」という事実のためだけに行ったので、オーディションでも踊らず後ろの席でただ座っていたという。

■座っていただけでジャニーズに入所

 しかし、そんな二宮に「なんで踊らないの?」と声をかけたのが、故・ジャニー喜多川社長だった。生前、ジャニーさんは「子どもは子どもらしく」をポリシーにしていただけに、自然体な二宮に好感を持ったのだろう。国分太一(46)も「やっぱりそういう人が気になるんだよね、ジャニーさんは」としていた。

「その後二宮は、当時13歳の自分にとっては大人に見えた”16歳の大人”が、反抗もせず楽しそうにレッスンを受けていたことから、“続けたら楽しいのかな”のレッスンを開始。オーディションからわずか5日後に『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でKinKiKidsのバックでテレビ出演を果たしたそうです」(前出の女性誌記者)

「踊らないでただ座っているだけ」というポジションで、まさに二宮にうってつけだったという。松岡昌宏(43)も、「そういえば踊らない子がいたなぁ。座ってるときに絵になる子がいたぞ」と、ジャニーさんの当時の心境をイメージしていた。

■二宮はジャニー社長に騙された!?

 こうしてジャニーズJr.として3年間活動を続けていた二宮だったが、演技方面の仕事も経験した過程で裏方の仕事に興味を持ち、ジャニーズからの退所を決意。嵐のデビュー記者会見は99年9月15日だったのだが、その年の正月の時点で、二宮はジャニーさんに直接99年度いっぱいでの退所の意思を伝えていたのだが、当時の二宮は「年度」の意味を「12月31日まで」と勘違いしていたという。

 そして、ジャニーさんは9月に「最後にハワイに行こう」と二宮をハワイへ誘ったという。嵐がハワイ州ホノルル沖のクルーズ客船にてデビュー記者会見をしたのは、ファンならだれもが知っているだろう。

 その展開を聞いたTOKIOは全員が爆笑。長瀬智也(41)は「詐欺じゃん!」とまで言い切った。

 嵐は99年のバレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成されていたほか、当時の二宮は先述のように「年度」の意味を勘違いしていたこともあり、「12月のワールドカップが終わったらなくなると思ってた」と了承するも、「そしたら全然終わらない。気づいたら21年」と、現在に至ることを明かした。

■大野は当時からノリ気ではなかった

「今回の『TOKIOカケル』は経緯をわかりやすく整理するため、17年の松本が出演した際の結成秘話も同時に紹介していたんですが、そこで櫻井翔(38)、二宮、大野の3人はデビュー前から事務所を辞めたがっていたことを改めて説明されました。今回は省略されていましたが、退所するつもりだった大野はデビューが嫌で、2週間、携帯も家の電話も出なかったそうです(笑)」(専門誌記者)

 櫻井と二宮の退所理由はそれぞれ、「大学進学」と「海外に行きたいから」だった。二宮本人の発言と合わせると、「海外で本格的に裏方の勉強がしたい」ということだったのだろう。

 大野については、Jr.時代に京都の舞台で約2年間活動した結果「自分の中で踊りが極まったんで、もういいかなっていうのはありましたね」という心境だったと、17年の『あさイチ』(NHK)で本人が明かしている。

「二宮はやる気のあった松本と相葉については“デビューできてよかったね!”とかなり他人事で祝福していたことも明らかにしたほか、相葉と松本に迷惑をかけないようにデビュー中止を櫻井とジャニーさん宅に直談判しようとしたら留守で、“今度デビューするグループの名前は『嵐』で行こうと思います”というファックスを発見。もう辞めるに辞められない状況になっていたことを明かしました」(前同)

 ちなみに、名前についてのエピソードは、松本が出演した17年の回で“二宮と櫻井がげんなりして帰ってきた”とも紹介されていた。

■松本は昔から変わらず熱い男だった

 結成の経緯についてこそ、やる気がなさげなエピソードを披露した二宮だったが、逆にやる気に満ちていた松本については、人間性のすばらしさを熱く語っていた。

「あの人、ずっと変わってないんじゃないかな、想いみたいなものは。色んな考えは増えていってるけど、その最初から持ってるものはずっと変わらないと想うから」熱いし、すごく真っすぐですね」

 と、人柄を語り、長瀬の「結果的に引っ張ってきたのは松潤みたいなとこあるかな?」というコメントについては、

「最初あの人に倒れられてたら、完全に共倒れですよ、みんなで」と即答。松岡と国分も、「辞める方に松本がいたらダメたっだ」と、指摘していた。

 その後、二宮個人の仕事がない時期があった話題へと移った。嵐の活動休止後、それぞれメンバーはどうするのか、という質問については、

「みんなどうするか知らない。俺は全然考えてない」としたうえで、それ以上に「考えてたこと、一個もできなくなっちゃったじゃないですか」と、北京公演を筆頭に多くのイベントがコロナ禍で台無しになってしまったことに触れた。

「どんな形であれやりたいねって言ってて、その準備をしてる」と、無観客ライブの準備を進めていることも、明かしている。

■「元気でやってりゃ、いつでもできる」

「最初こそ早期の脱退まで考えていた二宮ですが、やはり嵐はかけがえのない存在になった、ということがよく分かるトークでしたね。活動休止についても、“25周年とか30周年とかのきっかけじゃなくて、次25周年の時にもし戻ったとしても、22年目としてやりたい”と、非常に“嵐の活動”を大切にしているのを感じさせます」(前出の専門誌記者)

 同じく初期はジャニーズを辞めたがっていた櫻井も、10月2日放送の『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)で、リモート飲み会で「生まれ変わったら」という話題になった際、「もう一回、嵐かな」「やっぱ好きだから」と話していたことを佐藤隆太(40)が明かしている。

 また、活動再開について櫻井は、

「“カギを握るのは大野”っていう論調があるけど、そんなことはなくて、カギを握るのは5人」と、改めてコメントしている。櫻井もまた、21年の活動を経て嵐がかけがえのないものになったのだろう。

「TOKIOカケルで長瀬は二宮に対して、“まあ、元気にやってりゃ、いつでもできるもんね”と話しています。軽い口調でしたが、21年3月末でジャニーズを退所するうえ、仲間である山口達也(48)が残念ながら元気でやれていなかった長瀬の現状と合わせて考えると、非常に重い言葉です。嵐は休止後も、元気でいてほしいですね……」(前同)

「嵐を続けるつもりだったのは5人中2人だけ」という状態から、気付けば21年もの間苦楽を共にしてきた嵐。やはり、大切なのは5人の間のコミュニケーションだったのかもしれない。

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